古代の歴史

テンプル騎士団の「コマンドリー」とは?寄進によって築かれた中世ヨーロッパの騎士団拠点

テンプル騎士団の「コマンドリー」とは?寄進によって築かれた中世ヨーロッパの騎士団拠点

コマンドリー(管区)とは何か

コマンドリー(commanderie)とは、西欧に置かれたテンプル騎士団の拠点であり、騎士団の兄弟たちが共同生活を送った修道院に近い施設です。東方における騎士団の活動を財政的に支える後方基地としての役割を担い、同時に新たな団員の募集や、軍事的・宗教的な教育訓練の場でもありました。こうした拠点は、土地や不動産の寄進によって形成されていきました。

資産の形成

テンプル騎士団が所有する資産の大部分は、寄進によるものでした。創設初期には、土地の寄進によって騎士団はヨーロッパ各地に足場を築くことができました。その後、1130年〜1140年、1180年〜1190年、そして1210年〜1220年にかけて、三度の大きな寄進の波が訪れました。

まず注目すべきは、騎士団に入団した者は自身の財産の一部を騎士団に寄進できたという点です。さらに、寄進は国王から一般庶民に至るまで、あらゆる社会階層から行われました。例えば、イングランド王ヘンリー2世は、ノルマンディーのヴァル=ド=ラ=エイユにあるサント=ヴォブールの要塞と、セーヌ川に係る通行権をテンプル騎士団に譲渡しました。また、1255年にはオセールのサンティティエンヌ大聖堂の助祭司祭エティエンヌ・コロンボが、サンアマートル村で徴収される税を騎士団に寄進した事例もあります。

寄進の大多数は土地、あるいは土地からの収入でしたが、地代や商業収入の寄進も決して無視できる規模ではありませんでした。一例として、フランス王ルイ7世は1143年〜1144年にかけて、パリの両替商の店舗に設定されていた年額27ポンドの年金権を売却し、これを騎士団に譲っています。

寄進の三つの類型

当時の寄進には、大きく分けて以下の三つの形態がありました。

1. 「魂のために」(pro anima)の寄進

大規模な寄進(多くの場合、コマンドリー設立のきっかけとなった)もあれば、わずか数区画の土地にとどまる小規模な寄進もあります。寄進者の動機は、自らの魂の救済や罪の赦しを祈願することにありました。

2. 臨終の寄進(donation in extremis)

この種の寄進は、主に聖地へ出発する前に備えとして財産を贈る巡礼者によって行われました。件数こそ多くなかったものの、次第に遺言による遺贈へと取って代わられていきました。

3. 対償付きの寄進(有償寄進)

寄進者が見返りの対価を受け取ることを目的とした寄進です。厳密には売買ではなく報酬を伴う寄進であり、寄進者は生活を維持できるだけの資産を確保できました。受益者であるテンプル騎士団側も、対価の価値が寄進そのものより低かったため利益を得る構造でした。財産の全部または一部の譲渡が寄進者本人や相続人の収入に大きな影響を及ぼしうることから、寄進手続きを円滑に進める目的で用いられました。ただし、このようなケースでは騎士団と相続人の間で紛争が発生することも珍しくなく、訴訟によって解決される場合もありました。

資産の整理と統合

前述のとおり、寄進の性質や内容は実にさまざまでした。そこでテンプル騎士団は、これらを整理し、一貫性のある全体へとまとめ上げる必要がありました。騎士団は数々の交換や売買を重ねてコマンドリーの体制を整え、土地を集約することで、そこから得られる収入の最大化を図ったのです。この過程は、コマンドリー周辺またはそれに従属する土地の集約という点において、近代の耕地整理(区画整理)になぞらえることもできます。