古代の歴史

ローマ旅行記 Day 1 – 2019年5月17日:レオナルド・ダ・ヴィンチ空港到着からアパートチェックインまで

レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に午後7時に到着。ローマ市内から35km離れた場所にある。フライト時間は本来2時間15分のはずだったが、印パ関係の悪化によりパキスタン上空を避け、ボンベイ経由でアラビア海・地中海を迂回したため、約9時間半の長旅となった。

荷物受け取りの苦労

ターンテーブルから荷物を取り出すのは一苦労。最近は似たようなスーツケースばかりで、取り違えも多発する。ベルトコンベア上を流れる荷物の周りに人だかりができ、間違えて取った荷物を適当な場所に放り投げる光景も。事前にスーシュマが黄色いリボンを目印に結んでくれていたおかげで、6個のスーツケースのうち3個を他の乗客に勝手に降ろされていたものの、無事に全て回収できた。父のスーツケースの鍵はセキュリティチェックで壊されていたが、まあ仕方ない。

タバコの煙の洗礼

空港を出た途端、タバコの煙の小さな雲に包まれた。何百人もの男女が単独やグループでタバコや葉巻を吸っている。インドでは公共の場での喫煙が禁じられているため、この光景と空気には驚き、息苦しささえ感じた。女性の喫煙者が多いことにも衝撃を受けた。

SIMカード未入手での不便

この時点でイタリアで使えるSIMカードを持っていなかった。前回のインドネシア旅行ではデリーで購入したSIMが使えたが、その前の韓国旅行では機能しなかったため、今回は現地調達することにしていた。空港内でも売っていたが割高だったので、市内で買うことにした。

両替:35,000円が28,640円相当に

タクシー代をユーロで即座に支払う必要があったため、両替は待ったなし。前回同様、デリーで用意した米ドルを空港の両替所でユーロに換金。500ドル(約35,000円)で358ユーロ(約28,640円)しか得られず、手数料込みで実質的に非常に割高なレートだった。隣のカウンターはさらに悪いレートだった。

タクシーとの連絡不能、バスも不明

空港を出たのは午後8時過ぎだったが、まだ明るく、日没まで2時間以上ありそうだった。ヴィジャイが空港のWi-FiでUberを手配したが、SIMがないため運転手と連絡が取れない。バスも頻繁に来ていたが、どのバスに乗ればサービスアパートまで行けるのか、誰にも聞けない。Googleで路線番号は分かっても、小さなバス停が密集する中で正しい停留所を特定するのは困難。大荷物でのバス移動も現実的ではない。結局、空港前のタクシー乗り場の列に並ぶことにした。

32kmで約5,000円のタクシー代

タクシーが次々と到着しては数秒で発車していく。イタリア人は自国語でサッと交渉して乗り込んでいく。英語を話せる運転手は少なく、何人かに声をかけても通じない。最終的に行き先の地名だけを伝える戦法に切り替えた。6人+大荷物のため、大きめの車が必要だった。英語が通じる運転手が60ユーロで了承。インドの相場(約20円/km)の10倍にあたる約150円/km、両替手数料を入れると約200円/km。ヴィジャイが事前に調べていた空港タクシーの相場通りだったので承諾した。この頃には午後9時15分、完全に暗くなっていた。

タクシーは約30分、山岳地帯や海岸線、森林地帯を抜け、市街地へ。ここでも道路はガラガラだった。午後10時15分、バチカン市国近くのヴィア・グレゴリア7/133に到着。

静まり返る夜の街

腕時計はインド時間のままなので深夜1時半。現地時間は午後10時15分。通りには人影一つなく、車とバスのライトが高速で通り過ぎるだけ。インドならこの時間、村だけでなく小さな町でもまだ賑わっている。ここが正しい場所か確認する相手すらいない。運転手は路肩に降ろして去っていった。

アンジェラさんとの出会い

目の前のアパート2階のバルコニーに、アフリカ系と思われる若者たちが談笑していたが、言葉が通じない。そこへインドのナノカーのような小さな車が止まり、50歳くらいの背の高い女性が降りてきた。手招きしながら「私が来ました」と合図。ヴィジャイが「大家のアンジェラさんだ」と教えてくれた。彼女は近づいて握手し、笑顔で「ウェルカム」「2分遅れてすみません」と謝った。

部屋は4階。小さなエレベーターは4人がやっと。アンジェラさんは色白で背が高く、豊かな体格のイタリア人女性だが、顔立ちはどこかインド人の面影も。自信に満ちた笑顔を絶やさない。イタリア語しか話せないが、簡単な英単語で意思疎通を図ってくれた。

豪華なサービスアパートと諸費用

3ベッドルーム、キッチン、バスルーム、ダイニングルーム完備のモダンで豪華なフラットだった。案内の後、パスポートをスキャンし、バチカン市国の市税20ユーロ(約1,600円)と、4日分の光熱水費87.5ユーロ(約7,000円)を請求された。家賃はオンラインで支払い済み。

注意事項とフライングキス

鍵を2セット渡され、ビルの正面玄関用のキーも含まれていた。マドゥとバーヌには「バッグを体の横や後ろに下げないで、肩にかけて胸の前に。夜10時以降は外出しないで。事故に遭うよ」と念を押された。

最後に全員を見渡し、フライングキスを飛ばして「イタリア滞在を楽しんでね」と去っていった。その嬉しそうな笑顔から、私たちをゲストとして迎えられたことを心から喜んでいるのが伝わってきた。4泊で家賃約65,000円、光熱費約7,000円、市税約1,600円。彼女にとっても良い収入源なのだろう。

財布はすっかり軽く

空港で得た358ユーロから、タクシー60ユーロ、アンジェラさんへ107.5ユーロを支払い、手元に残ったのは190.5ユーロのみ。ローマ到着初日で、すでに財布が寂しい状態に。

手作りのプーリーとパチクータで夕食

アンジェラさんが去るとすぐに荷物を開け、持参した食事をとった。マドゥとバーヌがノイダで作ってきてくれたプーリー(揚げパン)とカイル・クムティ・サングリ(豆と野菜の乾燥カレー)は日持ちするため、到着直後の調理不要で助かった。巨大な玄関時計が深夜12時を打つ頃、就寝。

狂わない「生物学的時計」

眠って約1時間半、目が覚めた。壁掛け時計は深夜0時半。驚いたが、インド時間を計算すると朝5時。身体は2時間しか寝ていないのに、習慣の時間で自動的に目覚めたのだ。腕時計の時間は国ごとに合わせられるが、身体の「生物学的時計」はそうはいかない。自然の摂理だけが働く。トイレに行って再び眠りにつくと、マドゥも起きていた。彼はいつも私より早起きだ。

メロディックなホッターの音

うとうとした瞬間、道路から大きな音が。ミュージカルなサイレンとホッターが混ざったような旋律。近くの礼拝堂や教会、おそらく1km先のサン・ピエトロ大聖堂からだろうか。それともイタリアのパトカーのサイレン?消防車?翌日、再び同じ音を聞いて、イタリアでは救急車のサイレンだと判明した。

その音色は気に入った。不快感なく、むしろ心地よい。インドの救急車のけたたましいサイレンは、聞く者に恐怖を与え、車内の患者さえ病気を増幅させられるような音だ。それに比べれば、このメロディックなホッターは、命を運ぶ車両にふさわしい優しさを感じさせる。