1942年、東部戦線でナチス・ドイツ(第三帝国)と対峙するスターリンを救援するため、連合軍はフランスのディエップへの上陸によって第二戦線を開こうと試みました。しかし、ヒトラーの命令のもと、技術者トートや建築家シュペーアが構築し、ロンメル元帥が指揮した要塞線「大西洋の壁」は、海岸一帯に有刺鉄線や機関銃・砲を備えたトーチカを張り巡らせており、上陸作戦は痛ましい失敗に終わります。
それでも、1943年5月13日の北アフリカ解放を足がかりに、連合軍は同年7月9日〜10日から8月17日にかけてシチリア島へ「ハスキー作戦」を実施し、成功を収めます。イタリアは降伏し、第三帝国は孤立しました。そして1943年に開催された3度の連合国会議の結果、フランス解放のための統括組織「連合国遠征軍最高司令部(SHAEF)」が創設されることになります。
1944年6月6日――Dデイ

主要人物
- オマール・ブラッドレー(アメリカ陸軍)
- ウィンストン・チャーチル(イギリス首相)
- ドワイト・D・アイゼンハワー(連合国遠征軍最高司令官)
- アドルフ・ヒトラー(ナチス・ドイツ総統)
- ロドニー・ケラー(カナダ軍少将)
- ハンス・ギュンター・フォン・クルーゲ(ドイツ元帥)
- トラフォード・リー=マロリー(イギリス空軍司令官)
- バーナード・ロウ・モントゴメリー(イギリス陸軍大将)
- ヴァルター・モデル(ドイツ元帥)
- ジョージ・パットン(アメリカ陸軍)
- バートラム・ラムゼー(イギリス海軍提督)
- ゲルト・フォン・ルントシュテット(ドイツ元帥)
- エルヴィン・ロンメル(ドイツ元帥)
- アーサー・テッダー(イギリス空軍元帥)
欺瞞作戦と「ネプチューン」
SHAEFを率いるのはアメリカのアイゼンハワー将軍です。彼はイギリス出身の副司令官テッダーとともに、当初6月4日に予定されていた作戦を指揮しました。一方、ドイツ側のルントシュテットとロンメルは、上陸地点をパ・ド・カレー地方と予想していました。実際、欺瞞作戦「フォーティテュード」では、パットン将軍がイングランド側でカレー海峡に面した位置に偽装装甲車両を並べ、敵を欺いたのです。そして真の作戦こそ、アメリカ・イギリス・カナダ軍による英仏海峡横断「ネプチューン作戦」であり、これは大作戦「オーバーロード」の中核をなすものでした。
空挺部隊の降下
悪天候にもかかわらず、作戦はまず空挺部隊から始動し、1944年6月6日の午前0時過ぎに実行されました。この日は後に「Dデイ」「最も長い一日」と呼ばれることになります。偵察隊が地域を標示した後、数千人の落下傘兵が内陸部に降り注ぎ、連絡線の確保とドイツ軍防衛の攪乱を担いました。アメリカ第101空挺師団と第82空挺師団が西側を、イギリス第6空挺師団が東側を担当します。強風のため多くの兵員が予定外の地点に降下し、多数が命を落としましたが、その無秩序ともいえる降下は、かえってドイツ軍を混乱させる結果となりました。
5つのビーチへの上陸
続いて、イギリス空軍のリー=マロリー司令官が率いる航空部隊がドイツ軍防御陣地を爆撃し、イギリス海軍のラムゼー提督が指揮する水陸両用作戦が始まりました。上陸地点となったのは、コタンタン半島南東部からオルヌ川河口までの間に広がる、オマハ、ユタ、ジュノー、ゴールド、ソードの5つのビーチです。
上陸には15万人以上の兵員と2万台の車両が投入されました。ユタ・ビーチでの上陸は比較的容易でしたが、オマハ・ビーチでは甚大な損害が出て、部隊の到着を監督していたアメリカのブラッドレー将軍ですら作戦の続行を危ぶむほどでした。ケラー少将率いるカナダ軍はジュノー・ビーチで潮位に翻弄され、モントゴメリー将軍率いるイギリス軍はゴールドとソードに上陸しました(その中にはフランス人部隊も含まれています)。イギリス軍は6日の夕方にはバイユーに到達しています。
ノルマンディーの戦い
内陸では、BBCがヴェルレーヌの詩「秋の歌」の冒頭を放送したことを合図に、フランス・レジスタンスが破壊工作を展開しました。シェルブールは6月27日に陥落します。しかし、生垣(ボカージュ)と湿地に進路を阻まれた連合軍は、頑強に抵抗するドイツ国防軍を前に苦戦を強いられました。カーンは7月末に陥落し、ドイツのクルーゲ元帥とモデル元帥はヒトラーに対して撤退を進言します。いわゆる「ノルマンディーの戦い」は、8月25日のパリ解放、そして1944年9月12日のル・アーヴル解放をもって幕を閉じたのです。
結果と影響
ノルマンディー上陸作戦は戦争の終結そのものではありませんでしたが、歴史上最大級の戦いの一つとして、そして最終攻勢への鍵と評価されています。首都パリの象徴的な解放により、ドイツ側はもはや勝利の望みがないことを悟りました。この上陸作戦と、その後のプロヴァンス上陸作戦は、1945年5月8日の休戦協定調印によるナチス・ドイツの降伏へとつながっていくのです。