
アメリカ騎兵隊と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、ハリウッド映画のワンシーンだろう。リボルバー、カービン銃、サーベルを手にした騎馬兵たちが、インディアンに向かって突撃するあの映像的な場面である。ところが、こうした「ハリウッドさながら」の騎兵突撃が、現実に、しかも第二次世界大戦中に行われたことがあるのだ。
時代遅れとなった騎兵
第二次世界大戦が勃発した当時、騎兵はすでに過去の兵器とみなされていた。参戦国の中でも最も機械化が進んでいたアメリカ陸軍においても、乗馬連隊はごくわずかに残されるのみとなっていた。そのひとつが第26フィリピン・スカウト騎兵連隊である。
第26騎兵連隊の編成と装備
第26連隊は1922年にフィリピンで編成され、隊員はアメリカ人とフィリピン人からなる混成部隊だった。1941年初頭の時点で兵力は837名。機関銃は装備していたものの、迫撃砲も対戦車兵器も保有していなかった。
真珠湾攻撃によりアメリカが参戦すると、第26連隊はマニラ北方に配備された。ただし、マニラ南方に位置するF中隊だけは例外だった。
ルソン島での苦戦
砲兵部隊の増強を受けた第26連隊は、フィリピンのルソン島で日本軍の侵攻に対峙することになった。わずか5日間の戦闘で、兵力の4分の1と軍馬の半数を失うという甚大な損害を被ったのである。連隊は次第に後退し、マッカーサー将軍指揮下の他部隊とともにバターン半島へと退いていった。
一方、エドウィン・ラムゼイ中尉率いるF中隊は比較的良好な状態を保っていた。そこで同中隊には、モロン村を確保せよとの命令が下った。アメリカ軍司令部は、日本軍はまだこの村を占領していないと判断していた。しかしこれは誤りだった……。
奇跡の突撃
ラムゼイは部隊を率いて村へ向かった。だが突入の前に、まず偵察を行うことを決意する。彼自身、27名からなる小隊を率いて、敵の隙間と見込んだ地点――すなわち村へと進んだ。そして恐るべき光景を目の当たりにする。村は日本兵で満ちあふれていたのだ。
しかしラムゼイは怯まなかった。まさかアメリカ騎兵の突撃に遭遇するとは夢にも思っていない日本軍の虚を突き、部下に前進を命じた!実はアメリカ騎兵は1934年以降、サーベルを返納していた。つまりこの突撃は、コルト拳銃を手にした騎手たちによって行われたのである。
アメリカ兵とフィリピン兵は雄叫びを上げて突っ込み、至近距離からの射撃を浴びせられた日本軍は大混乱に陥って逃げ惑った。日本軍は村を放棄。ラムゼイは直ちに全騎兵を散開させて狙撃線を敷き、5時間にわたり村を死守し、味方の増援が到着するまで持ちこたえた。
その後のラムゼイ中尉
結局、日本軍はバターンの戦いで連合軍を打ち破った。第26連隊は解隊となったが、不屈のラムゼイはその後もフィリピン・ゲリラの指揮官として戦い続け、1945年1月にアメリカ軍がルソン島を解放するまで戦い抜いた。長年に及ぶゲリラ戦の末、ラムゼイの体重はわずか42キロまで落ちていたという。
これが、乗馬したアメリカ騎兵最後の戦士たちの物語である。それ以降、騎兵による突撃が行われることはなかった――2001年10月22日、アメリカ特殊部隊12名がアフガニスタンで騎乗襲撃を実施する日まで。だがそれは、また別の話である。

ラムゼイ中尉。