背景
- 1967年、ヌーヴィルト法により避妊が合法化されたものの、実際に入手・利用することは依然として困難だった。
- 1974年5月27日、ヴァレリー・ジスカール・デスタンが大統領に選出され、就任当初から社会改革の実現を掲げていた。
- 当時、フランスでは人工妊娠中絶は違法であり、中絶を行った女性は刑事責任を問われ、禁錮刑に処される可能性さえあった。
- 1970年代、フェミニズム運動は中絶の合法化を強く求めた。その主な論拠は「女性には自らの身体を自由に決定する権利があること」「密式中絶が女性の命と健康を脅かす危険な行為であること」の2点であった。
- 1971年、中絶の非犯罪化と合法化を求める女性343人が署名した「343人のマニフェスト」が発表された。文章は哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールによって執筆されている。さらに1973年には、医師たちが「331人のマニフェスト」に署名し、フランスの法律に反して中絶手術を実施していることを公に認めた。また1972年には、レイプ被害後に中絶したとして16歳の少女が起訴され、この裁判(ボビニー裁判)は中絶をめぐる政治問題へと発展した。
1975年1月17日

登場人物
ヴァレリー・ジスカール・デスタン
シモーヌ・ヴェール
立法の経緯
1974年、大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンは、保健大臣シモーヌ・ヴェールに対し、中絶の非犯罪化と合法化に関する法文の起草を指示した。この法案は、国民議会における激しい議論を経て採択された。右派は法案に反対票を投じたが、左派の支持を取り付けることで、ヴェールの法案はついに過半数を獲得したのである。
法律本文は1975年1月17日に公布され、その提唱者の名にちなんで「ヴェール法」と呼ばれるようになった。なお、この法律は当初、5年間の時限立法(試験的措置)として採択されたものである。
ヴェール法は中絶を次の2つの類型に区分して定義した。
ひとつは「医学的中絶(IMG)」であり、母親の意向と医療専門職の見解という厳格な条件のもとで、妊娠期間を問わず実施が認められるものである。
もうひとつは「人工妊娠中絶(IVG)」であり、母親本人の希望により、妊娠12週以内に行うことができる。
その後の影響
- ヴェール法は、1979年12月31日に制定された人工妊娠中絶に関する法律によって、恒久的な制度として確定した。
- 1983年以降、健康保険が人工妊娠中絶に伴う治療費および入院費を給付するようになり、経済的な負担軽減も実現した。