
唯一の相続人としての少女時代
1477年、ナントにある両親の城で生まれたブルターニュ女公アンヌは、女性でありながらブルターニュ公爵家の唯一の正統な相続人であったことから、並外れた教育を受けました。父フランソワ2世は、娘が将来担うことになる政治的責務に備えられるよう、知的な武装を施すことを決めたのです。
11歳で孤児となったアンヌは、公爵の地位と、フランス王シャルル8世との対立という二つの「遺産」を同時に引き継ぎました。戦時の指導者となった彼女でしたが、女性であることが大きな武器にもなりました。アンヌの使者たちは、フランス王側に対し、対立を終結させるための婚姻の提案を行ったのです。ただしその条件は、ブルターニュ側に有利な婚姻契約を添えることでした。
二度の王妃としての人生
1491年12月6日、アンヌとシャルルはランジェ城で結婚しました。しかし1498年にシャルル8世が死去したとき、二人の間の子供は一人も生き残っていませんでした。そこで婚姻契約の取り決めに従い、アンヌはシャルルの後継者である従弟ルイ12世と再婚し、二度目のフランス王妃として戴冠しました。
しかし、この二度目の結婚で生き残ったのは、クロードとルネという二人の娘だけでした。
ブルターニュの行方――最後の関心事
ブルターニュの相続人であるクロードの結婚こそが、アンヌの最後の関心事となりました。なぜなら、ブルターニュは彼女自身にとってそうであったように、娘にとっても「持参金」にほかならなかったからです。この賭けに最終的に勝利したのは、のちのフランス王フランソワ1世であり、1532年、ブルターニュ公国は正式にフランスの州へと編入されたのです。