アッカド人は、メソポタミア地方に暮らしていた古代民族の一つです。
チグリス川とユーフラテス川に囲まれた「肥沃な三日月地帯」では、いくつもの文明が花開きました。アッカド人のほかにも、シュメール人、アッシリア人、カルデア人、ヒッタイト人、アンモン人などがこの地域に定住していました。
歴史の概要
メソポタミアに最初に定住した古代民族はシュメール人です。その後、紀元前2550年頃にアッカド人が登場しました。彼らは現在のシリア北部あたりから移動してきたと考えられています。
肥沃な土地を求めて移住した彼らは、帝国で最も重要な都市「アッカド」にちなんで「アッカド人」と呼ばれるようになりました。帝国の首都もまたアッカド(現在のイラク)として知られることになります。
サルゴン1世(在位:紀元前2334年~紀元前2279年)の指導のもと、セム系で半遊牧民だったアッカド人はシュメール人を打ち破り、紀元前2550年から紀元前2300年にかけてメソポタミア地方全体を征服しました。
その後、アッカド王はシュメールの都市国家群を統一し、ペルシャ湾からメソポタミア北部にまで及ぶ「最初のメソポタミア帝国」を築き上げました。この帝国は「シュメール・アッカド文明」という名でも知られています。
しかしながら、内部の反乱や度重なる外敵の侵入により、アッカド帝国の存続は困難となり、約2世紀後の紀元前2100年頃には滅亡へと至りました。
主な特徴
文化
アッカド人の文化は都市建設を基盤としており、荘厳な神殿や宮殿が数多く建てられました。アッカド美術では神々や動物が主要なモチーフとされ、また彼らは楔形文字を用いて、シュメール人の文学作品の多くを書き写しています。
宗教
メソポタミアのほとんどの民族に共通する宗教は多神教、すなわち複数の神々を崇拝する信仰でした。興味深いことに、王は死後も神として崇拝されました。アッカド人は王を神々の直接的な代表者であると信じていたのです。
政治
王は帝国の法務や政治の大部分を掌握する存在でした。中央集権国家のもと、アッカド人は数多くの軍事遠征によって帝国の維持に努めましたが、王の死後、帝国は急速に弱体化していきました。
経済
アッカド経済の基盤は農業でした。ティグリス川とユーフラテス川の氾濫が土壌を豊かにし、農耕に恵まれた環境をもたらしました。当時は貨幣がまだ存在しなかったため、金属や大麦といった品物が交換手段として用いられていました。
まとめ
アッカド人は、サルゴン1世の指揮のもとシュメールの都市国家を統一し、世界史上初の帝国とも言われるメソポタミア帝国を築いた民族です。約2世紀という比較的短い期間で滅亡したものの、楔形文字による文化の継承や中央集権的な統治体制など、後のメソポタミア文明に大きな影響を残しました。
関連記事:
- メソポタミア文明とは
- メソポタミアの諸民族
- 肥沃な三日月地帯
- メソポタミア美術
- メソポタミアに関する問題