古代の歴史

ノルマンディー上陸を予見したスパイ「オストロ」――ヒトラーはなぜ彼を信じなかったのか

ノルマンディー上陸を予見したスパイ「オストロ」――ヒトラーはなぜ彼を信じなかったのか

1944年6月、連合軍によるノルマンディー上陸作戦の直前、ドイツの諜報員パウル・フィルムッツ――コードネーム「オストロ」――は、起ころうとしている出来事をすべて知っていた。上陸のわずか数日前、リスボンに滞在していたオストロの手元には、ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)の細部に至るまでの情報が揃っていたのである。

オーバーロード作戦の全貌を掴んだ男

連合軍は、ドイツ軍司令部やヒトラーが本気で信じていたカレーではなく、ノルマンディーの海岸に20万人規模の兵力を集結させ、二段階に分けて攻撃を仕掛ける計画だった。オストロはこの重大な情報を、ただちにベルリンの上司へ伝えようとした。「計画では、シェルブールの東方、カランタン周辺地域において、空と海からの同時攻撃が想定されている」と、彼は報告文に書き記したのである。

6か国語を操る天才諜報員

オストロことパウル・フィルムッツはオーストリア出身だった。若くして諜報活動の闇の世界に足を踏み入れ、6つの言語を流暢に操り、際立って高い知能の持ち主として知られていた。一時期はイギリスの秘密情報機関とも協力関係にあったが、その関係が災いして、1935年にゲシュタポに逮捕される。それでも彼はイギリスへの通報を続け、ヒトラーによるオーストリアおよびチェコスロバキア併合の計画をイギリス側に伝えていた。

疑念を抱かれた報告

1939年にはナチ党に入党し、翌1940年にはリスボンへ派遣された。現地でドイツのために諜報網を築き上げる一方で、彼はイギリスから供給された偽情報も流していた。ところが、送られる情報の一部が不正確だったことが仇となり、ドイツ側は「オストロは情報を適切に評価できていないのではないか」と疑い始める。

そして、ノルマンディーへの連合軍上陸が迫っていることを告げたあの報告も、まさに同じ運命を辿ったのだ。

「情報は偽だ」――ヒトラーの致命的誤判断

ヒトラーはその報告の信憑性を頑として受け入れず、結果は歴史が示す通りとなった。当時のヒトラーはこう語っていたという。

「オストロが上陸の正確な場所、時刻、そして日付まで教えてくるという事実こそが、その情報が偽物であるという結論へと私を導くのだ」

あまりにも詳細すぎたがゆえに、かえって疑われてしまったのである。

戦後の静かな余生

フィルムッツ自身は戦争を生き延びた。戦後はスペインに渡り、週刊誌『デア・シュピーゲル』の特派員として活動し、1958年に同地でこの世を去った。もし彼の上陸に関する報告が信じられていれば、第二次世界大戦の行方は大きく異なるものになっていたかもしれない。