古代の歴史

パンター(Pz V):進化する時間すら与えられなかった優秀な戦士

パンター(Pz V):進化する時間すら与えられなかった優秀な戦士

ソ連戦車への回答として生まれたパンター

パンター戦車は、質・量ともに優位に立つソ連戦車に対抗するべく設計された戦車である。その製造仕様が確定したのは1942年1月、モスクワの戦いがまだ決着を見ていなかった頃のことだった。

開発と基本性能

試作車は同年8月に登場し、最初の量産型パンターは1943年1月にMAN社の工場ラインを離れた。本車にはマイバッハ社製の強力なHL 230エンジンが搭載され、3,000回転時に700馬力を発生。これによりパンターは最高速度46km/hを発揮することができた。

戦闘重量は44,800kgに達した。重量が大きくなった主因は搭載された重装甲であり、その厚みは20mmから120mm(Ausf F型)の範囲に及んでいる。

強力な主砲 KwK 42

パンターには優秀な長砲身の7.5cm KwK 42 L/70砲が装備されていた。この砲はPzgr. 39/42徹甲弾を使用すれば3,000mの距離で91mm、同じ距離でPzgr. 40/42弾なら105mmの装甲板を貫徹することが可能だった。

2,000mにおける貫徹力はそれぞれ116mmと145mm、1,000mでは119mmと149mmに達した。搭載弾数は合計79発。1945年には、より強力な8.8cm KwK 43 L/71砲への換装案も提案されている。

クルスクでの苦い初陣

パンターは1943年7月、クルスクの戦いで洗礼を受けたが、いわば「幼年期の病」とも呼べる初期不良のため、期待されたほどの成果を挙げることができなかった。

初陣のパンターは多くの機械的トラブルに見舞われた。投入された200両のうち184両が戦闘に参加したものの、わずか5日間で戦闘可能な状態にあったのは10両のみとなった。しかし、敵の攻撃によって完全に破壊されたのは23両に過ぎなかった。56両が敵砲火や地雷により軽重さまざまな損傷を受け、2両がエンジン火災で失われ、さらに44両が技術的な問題で戦列を離脱したのである。それでもなお、パンターはソ連戦車267両の撃破に貢献している。

恐るべき殺戮機械へ

初期の技術的問題が解消されると、パンターは優れた戦闘マシンとしての実力を証明した。遠距離からほぼあらゆる連合軍戦車を撃破できる能力を備えていたのである。IS-2型といったソ連の巨獣級戦車ですら、その相手として警戒せざるを得なかった。

ただし、その大型の車体ゆえに、ノルマンディーのような「閉鎖的な」戦場では脆さも露呈した。アメリカ軍の推定では、1両のパンターを無力化するためには、自軍のM4シャーマン5両を必要とすると言われていた。

生産数と戦後

終戦までに5,000両以上のパンターが生産された。この数字には、88mm砲を備え、大戦最終局面で独自の歴史を刻んだ名駆逐戦車ヤークトパンターは含まれていない。

なお、鹵獲されたパンターは戦後もソ連軍やフランス軍によって使用されたことも特筆に値するだろう。