古代の歴史

インカとアステカはスペインと同盟を結んでいたのか?征服の歴史を解説

「インカやアステカがスペインと同盟を結んでいた」という見方がありますが、これは正確ではありません。16世紀にそれぞれの帝国がスペイン人によって征服された際、インカ帝国もアステカ(メシカ)帝国も、スペインとの同盟関係にはありませんでした。むしろ両帝国は、スペインの侵略に対抗しようとした側でした。

アステカ帝国の場合

1519年、エルナン・コルテス率いるスペイン遠征隊が現在のメキシコに到達しました。アステカの皇帝モクテスマ2世は当初、コルテス一行を丁重に迎え入れましたが、これは同盟の申し出ではなく、未知の来訪者への警戒と外交上の対応でした。その後、コルテスは首都テノチティトランを包囲・攻撃し、1521年に帝国は滅亡しました。

インカ帝国の場合

南米のインカ帝国は、1532年にフランシスコ・ピサロが到達したことで運命が大きく変わりました。ピサロは皇帝アタワルパを騙して捕らえ、莫大な身代金を受け取ったうえで処刑しました。インカ側は一貫してスペインに抵抗し、その後もビルカバンバを拠点とするインカ政権など、数十年にわたる抵抗運動が続きました。

ただし、スペイン側についた先住民勢力は存在した

重要なのは、帝国そのものではなく、両帝国の支配下にあった周辺の先住民諸集団の中に、スペインと協力する勢力がいたという点です。

  • アステカの場合: コルテスは、アステカから過酷な貢納を課されていたトラスカラ人やトトナカ人などと同盟を結び、彼らの大量の兵力支援を受けてテノチティトランを攻略しました。
  • インカの場合: ピサロの遠征隊には、インカの支配に不満を抱いていたワンカ族、カニャリ族、チャチャポヤ族などの戦士が加わり、征服作戦を支えました。

まとめ

つまり、インカ帝国もアステカ帝国もスペインの同盟国ではなく、征服の対象となった帝国でした。ただし、両帝国の覇権に不満を持つ周辺民族がスペイン側に与したことが、わずかな人数のスペイン人による大帝国征服を可能にした、というのが歴史の実像です。