「ヘンリー8世の治世中、処刑ではなく火刑に処された異端者は何人いたのか?」という質問に対しては、「ゼロ。ヘンリー8世の時代に異端者は火刑にされず、火刑が本格的に行われたのは娘であるメアリー女王(メアリー1世)の治世だ」という答えがよく見られます。
しかし、厳密な歴史的事実として言えば、この説明は必ずしも正確ではありません。実際には、ヘンリー8世の治世下でも異端者は火刑に処されています。
ヘンリー8世時代にも行われていた火刑
ヘンリー8世(在位1509年〜1547年)の治世には、宗教改革をめぐる宗教対立の中で、プロテスタント的な思想を持つ者や、逆に旧来のカトリック的立場を守ろうとする者が「異端」として処罰される例がありました。
- トマス・ビルニー(1531年)
- リチャード・ベイフィールド(1531年)
- ジョン・テュークスベリー(1531年)
- ジェームズ・ベイナム(1532年)
- ジョン・フリスとアンドリュー・ヒューエット(1533年)
- アン・アスキュー(1546年)
また、英語聖書の翻訳で知られるウィリアム・ティンダルは1536年に、当時イングランド王権の直接支配下になかった大陸側(現在のベルギー近郊のフィルフォールト)で、絞殺された後に焼かれています。
大規模な火刑を実施したのはメアリー1世
一方、1553年に即位したメアリー1世は、カトリック復興政策の一環として、在位わずか約5年の間に推定280人前後のプロテスタントを火刑に処しました。この苛烈な弾圧のため、彼女は「ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)」というあだ名で呼ばれるようになりました。
1555年にはヒュー・ラティマーとニコラス・リドリーがオックスフォードで、1556年には元カンタベリー大主教トマス・クランマーが同じくオックスフォードで処刑されています。これら殉教者の記録は、ジョン・フォックスの『殉教者の書』によって後世に広く伝えられました。
まとめ
「ヘンリー8世の治世に異端者への火刑は一切なかった」「火刑はすべてメアリー1世の時代だけのものだった」というのは、俗説に近い理解です。実際にはヘンリー8世の治世でも散発的に火刑は行われていましたが、体系的かつ大規模な火刑が実施されたのは、間違いなく娘のメアリー1世の治世でした。