紀元前340年は、地中海世界から極東アジアまで、各地で後の歴史を大きく左右する出来事が進行していた年です。この記事では、その年の主要な動きをわかりやすく解説します。
ローマとラテン同盟の戦争(ラティウム戦争)
紀元前340年、ローマ共和国はかつての同盟者であったラテン同盟との間で戦争に突入しました(ラティウム戦争)。ローマはサムニウム人と手を結び、ラテン諸都市の連合軍と対峙します。この戦争は紀元前338年まで続き、最終的にローマが勝利しました。敗れたラテン同盟は解散させられ、ラティウム地方はローマの支配下に置かれます。この勝利は、ローマがイタリア半島中部の覇権を握るための決定的な一歩となりました。
マケドニア王フィリッポス2世の攻勢
同じ頃、ギリシャ北方ではマケドニア王フィリッポス2世が勢力拡大を進めていました。彼はペリントスやビュザンティオン(後のコンスタンティノープル)を包囲しましたが、ペルシアの支援を受けたこれらの都市を落とすことはできませんでした。それでもこの遠征はアテナイとの対立を深め、翌年のカイロネイアの戦い(紀元前338年)、ひいてはギリシャ征服への道を開くことになります。
アリストテレスによる青年アレクサンドロスの教育
この時期、哲学者アリストテレスはミエザにおいて、10代前半の王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の家庭教師を務めていました。ホメロスの叙事詩や倫理学、政治学などを学んだアレクサンドロスは、後に広大な世界帝国を築く基盤となる教養をここで身につけたと伝えられています。
ペルシア帝国の情勢
アケメネス朝ペルシアでは、アルタクセルクセス3世が治世の終盤を迎えていました。エジプトの再征服(紀元前343年)などで帝国の統制を回復した強力な君主でしたが、宮廷内では継承をめぐる緊張が高まりつつありました。まもなく訪れるアレクサンドロスの東征を前にした、静かな変化の時期だったといえます。
中国・戦国時代の動き
中国では戦国時代の真っ只中にありました。西方の秦では商鞅(しょうおう)による改革(変法)が進み、中央集権的な法制度と農戦主義的な国家体制が整えられつつありました。この改革は秦の急速な台頭の礎となり、後の天下統一へとつながっていきます。
インド亜大陸と仏教の広がり
インドでは、釈迦の教えである仏教が次第に広がりを見せていました。当時はまだ出家者を中心とした教団の段階でしたが、ガンジス川流域を中心に教えが伝播し、数世代後にはマウリヤ朝のアショーカ王によって国家規模で保護されることになります。
まとめ
紀元前340年は、単独の大事件が起きた年というより、後の歴史的大転換への「助走」の時期でした。ローマのイタリア半島制覇への道、フィリッポス2世とアレクサンドロス父子によるヘレニズム世界の幕開け、そして秦の台頭——各地域で、後世を大きく変える種が蒔かれていたのです。