古代の歴史

ウィリアム・ウォレスはイザベラ王妃の長男の父親だったのか?歴史的な真実を解説

結論から言えば、ウィリアム・ウォレスがフランスのイザベラ王妃の長男の父親であるという証拠は一切存在しません。これはあくまでフィクション上の設定であり、史実とはまったく異なる話です。

時系列から見る不可能性

イザベラ王妃の最初の息子、後のイングランド王エドワード3世は1312年11月13日に生まれました。一方、スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスは1305年8月23日にロンドンで処刑されています。つまり、エドワード3世の誕生はウォレスの死から約7年後の出来事であり、両者が父子である可能性は時間的にまったく成立しません。

そもそも出会いすらあり得なかった

さらに重要な点として、イザベラは1295年頃に生まれたため、ウォレスが処刑された時点でまだ10歳前後の少女でした。彼女がイングランド王エドワード2世のもとへ嫁いだのは1308年のことで、これはウォレスの死後3年以上が経過してからのことです。したがって、二人が実際に対面すること自体が歴史的に不可能でした。

この誤解が広まった背景

この説が広く知られるようになった最大の要因は、1995年公開の映画『ブレイブハート』です。作中ではウォレスとイザベラが恋に落ち、彼女が身ごもった子供が後にエドワード3世となるという脚色が描かれました。しかし、これは完全な創作であり、歴史家たちによっても明確に否定されています。

まとめると、ウォレスがイザベラ王妃の長男の父親だったという説には何の根拠もなく、映画による架空の設定であることが明らかです。