古代の歴史

アイゼンハワー・ドクトリンの目的とは?中東における米国の共産主義封じ込め政策を解説

アイゼンハワー・ドクトリンとは何か

アイゼンハワー・ドクトリン(Eisenhower Doctrine)とは、中東地域が共産主義の脅威にさらされた場合、アメリカ合衆国が必要とあらば軍事力を行使してでもこれを防衛すると定めた外交政策です。冷戦期における米国の「封じ込め政策」の中東版として位置づけられています。

ドクトリンが発表された背景

この政策は、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領によって1957年初頭に議会へ咨文として提出され、同年3月に議会の承認を経て成立しました。

発表の直接の契機となったのは、スエズ危機(第二次中東戦争)です。1956年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化したことを受け、イギリス、フランス、イスラエルがエジプトに武力介入しました。この際、ソ連がエジプト側を支援する姿勢を見せたことで、中東におけるソ連の影響力拡大への懸念が一気に高まりました。

ドミノ理論との関係

アイゼンハワー・ドクトリンの思想的基盤となったのがドミノ理論です。これは、「ある一国が共産化すれば、隣接諸国も次々と共産圏へ倒れ込んでいく」という考え方で、まるでドミノ倒しのように共産主義が地域全体に波及するという見方に基づいています。

この理論に立つと、中東でたった一つの国がソ連の影響下に入ることすら許容できず、米国による先制的な関与が正当化されることになります。

具体的な適用例:レバノンへの派兵

このドクトリンに基づく実際の軍事行動の例が、1958年の「ブルーバット作戦(Operation Blue Bat)」です。

レバノンで内戦が勃発し、親米的なシャモーン政権が崩壊の危機に直面すると、アイゼンハワー政権はドクトリンを根拠に米海兵隊をベイルートに上陸させました。これは同ドクトリンに基づく初めて、そして唯一の本格的な軍事介入となりました。

まとめ

アイゼンハワー・ドクトリンは、冷戦構造の中で中東を「反共陣営」に維持することを目的とした政策でした。スエズ危機への対応として誕生し、ドミノ理論を理論的支柱としながら、実際にはレバノン内戦への介入という形で具現化されました。この政策は、その後の米国の中東関与の長い歴史の出発点の一つと評価されています。