「ピルグリム(巡礼者)たちはネイティブ・アメリカンを助けた」というイメージは、感謝祭(サンクスギビング)の物語とともに広く浸透しています。しかし、歴史的な証拠を丁寧に検証すると、ピルグリムが先住民を積極的に「助けた」と断言できる事実はほとんど存在しないのです。
友好関係はごく一部にすぎなかった
確かに、ピルグリムの中にはワンパノアグ族など一部の部族と友好的な関係を築いた者もいました。スクアント(Squanto)やサモセット(Samoset)といった先住民が、ピルグリムにトウモロコシの栽培や漁法などの生存技術を教え、1621年に開かれた最初の収穫祭では両者が食卓を共にしたと伝えられています。この場面こそが、後の「感謝祭」の原型となりました。
全体としては紛争と搾取の歴史
しかし、こうした友好関係はあくまで例外的なものであり、両者の関係全体を見渡せば、土地の略奪、交易における不平等、ヨーロッパから持ち込まれた疫病の蔓延、そして度重なる武力衝突が歴史の中心を占めていました。入植が進むにつれて先住民の土地は次々と奪われ、1675年にはフィリップ王戦争(King Philip's War)と呼ばれる大規模な紛争が勃発し、無数の先住民が命を落とすことになりました。
「感謝祭神話」の見直しが進む
今日では、感謝祭にまつわる美しい物語は、入植者側の視点から一方的に語られた歴史であるとする見方が強まっています。ネイティブ・アメリカンの視点に立てば、ピルグリムの到来は感謝すべき出来事ではなく、植民地化と長い苦難の始まりを意味していたのです。
結論として、ピルグリムがネイティブ・アメリカンを「助けた」という証拠は存在せず、むしろ両者の関係は対立と搾取に彩られていた――これが現代の歴史学が示す実像だと言えるでしょう。