ジュバル・アンダーソン・アーリー(Jubal Anderson Early、1816–1894)は、南北戦争における南軍(アメリカ連合国軍)の将軍であり、実はゲティスバーグの戦い(1863年7月1日〜3日)に直接参加していました。「アーリーはゲティスバーグにいなかった」という誤解が広まっていますが、史実では彼はこの決定的な戦いの中核を担った指揮官の一人です。
イーウェル麾下の師団長としてペンシルベニアへ
当時、アーリーはロバート・E・リー将軍率いる北バージニア軍の第二軍団(軍団長:リチャード・イーウェル中将)の下で一個師団を指揮していました。1863年6月、リー軍によるペンシルベニア侵攻が始まると、アーリーの師団は先鋒として北上し、6月26日にペンシルベニア州ヨークを占領しました。これは南軍が占領した北部最大の町として知られています。
初日(7月1日):北軍第11軍団を撃破
戦闘初日の午後3時頃、アーリーの師団はゲティスバーグに到着し、町の北および東に展開していた北軍オリバー・O・ハワード少将の第11軍団に猛攻を仕掛けました。この攻撃は見事に成功し、北軍部隊は町を抜けてセメタリーヒル方面へと敗走することになりました。
二日目(7月2日):セメタリーヒルへの夜襲
7月2日の夕方には、アーリーの師団がセメタリーヒル東側への攻撃を担当しました。激しい白兵戦の末、一部の部隊は一時的に丘の上の北軍砲兵陣地を突破しましたが、隣接部隊との連携が不十分だったため、夜までに押し戻されています。
撤退戦とその後の経緯
南軍の敗退後、アーリーの師団は後衛(しんがり)として殿を務め、7月中旬にはシェナンドー渓谷を経由してバージニアへと帰還しました。なお、アーリー自身が第二軍団全体の指揮官となったのはそれより後、1864年5月にイーウェルが更迭されてからのことです。