考古学的発見

正確な用途は今も謎――精巧な新石器時代中国の玉器「璧」と「琮」

紀元前3千年紀、現在の中国東部・長江下流域(江蘇省・浙江省一帯)に栄えた良渚(りょうしょ)文化は、その意味や用途が今なお解明されていない、独特な玉器を数多く生み出しました。

研究者を驚嘆させる精緻な玉器

これらは「璧(へき)」と呼ばれる円盤と、「琮(そう)」と呼ばれる筒として知られています。その精緻さは研究者たちを驚嘆させ、中国の古代遺跡や古墓から出土した玉器の中でも、最も印象的でありながら同時に最も謎めいた存在となっています。

璧とは、中央に小さな穴が開いた平たい円盤状の玉です。サイズはさまざまで、直径わずか1センチほどのものから1メートルに及ぶものまで発見されていますが、平均的な大きさは25〜30センチ程度です。

正確な用途は今も謎――精巧な新石器時代中国の玉器「璧」と「琮」

新石器時代の璧には装飾が施されていないのが一般的ですが、後の時代になると六角形などの幾何学文様や、天体や自然の要素に関連する神々を表すとみられる意匠が加えられるようになりました。

一方の琮は、外側が長方形または方形で、内側に円形の筒を抱く独特な形状をしています。高さも数センチから1メートルまでと幅があります。最古のものには幾何学的な装飾が見られ、時代とともに文様は複雑化していき、漢代(紀元前202年〜紀元後220年)に製作の頂点を迎えました。この時期の装飾モチーフは、ますます精巧なものとなっています。

天と地を象徴する対の器物

しかし新石器時代の遺品に関して言えば、この二種類の器物は互いに強く結びついているように見えます。最も有力な仮説では、琮は大地あるいは身体を、璧は天を象徴するとされ、精神的にも物理的にも「天と地」を表していると考えられています。ただし、その目的や機能については、今なお決着がついていません。

これらは高い社会的地位を示すものであったとみられています。実際、玉は加工が非常に難しい石であり、製作に要したコストと時間を考えれば、共同体の中でも最も力を持つ者だけが手にできたものであった可能性が高いのです。

正確な用途は今も謎――精巧な新石器時代中国の玉器「璧」と「琮」

墓から大量に出土する璧と琮

璧と琮の大多数は、数多くの考古遺跡の墓から発見されており、しかも驚くほど大量に出土しています。発掘された墓の一つからだけで、璧25点と琮33点が見つかった例もあるほどです。

璧は故人の腹部や胸部、背中、頭部などに置かれたり、遺体に沿って並べられたりしました。時には円盤が幾枚も重ねられ、小さな山のような状態で見つかることもありますが、その場合に重ねられている璧は、質が劣っていたり工作が粗かったりする傾向があるといいます。

新石器時代のこれらの遺物は、葬送儀礼的な機能を持っていたと考えられています。すなわち、璧は死者をあの世へ導くための天の象徴として、琮は身体と大地をつなぐものとして用いられたというのです。

その後の時代になると、これらの器物には道徳的・社会的地位の意味合いが付与されるようになりました。たとえば、降伏した敵将から献上された璧は、勝利と服従の象徴とされるようになったのです。

中国の宇宙観の萌芽を示す証左

これらの器物の歴史的・考古学的重要性は、後に中国文化に深い影響を与えることになる宇宙観(宇宙論的概念)の初期段階を物語る証左となりうる点にあります。この観点から、一部の専門家は、良渚社会の宗教的指導者であったシャーマンが、この宇宙論的知識を伝達するためにこれらの玉器を用いていたと考えています。

なお1950年代には、疑似科学やUFO研究の世界で、1万2000年前のものとされる謎の「ドロパ石(Dropa stones)」に関するデマが出回りました。しかし、この話題が今も根強く語られているにもかかわらず、実物を目にした者は誰一人としておらず、流通しているわずかな写真を見る限り、それらは実際には璧の円盤であると考えられます。