驚くほど写実的なデスマスク(死者の覆面)を残したタシチク人は、ユーラシア・ステップにおける最も謎めいた古代文化の一つです。本記事では、あまり知られていないこの民族の独特な葬送習慣を振り返ります。

シベリアのオグラフチ墓地から出土したタシチク族の葬面具(4世紀)。
CTスキャンが明かした故人の姿
サンクトペテルブルク(ロシア)のエルミタージュ美術館の研究チームによる最新の分析で、紀元3世紀のタシチク人の頭蓋骨に施された被覆材が詳しく調査され、その成果は英国の考古学雑誌『Archaeology』2021年1月/2月号に掲載されました。CTスキャンによる解析の結果、頭部左側に大きな裂傷があり、その傷が死後に縫合されていたことが判明したのです。これは、故人が来世で醜い姿にならないよう配慮したものと考えられています。
エルミタージュ美術館で実施されたタシチク族頭蓋骨のCTスキャン画像。提供:The Siberian Times / Archaeology Magazineタシチク人は紀元前5世紀から紀元後5世紀頃にかけて、現在のロシア領内のステップ地帯で活動していた民族です。彼らの存在は18世紀末にシベリアで確認され、考古学的な痕跡を最初に発見したのは、1883年にアバカン近郊のオグラフチ埋葬地で調査を行った考古学者アレクサンドル・アンドリアノフでした。この墓地からは、保存状態の良い美しい仮面のほか、無傷の毛皮帽、絹の衣類、履物、かんざし、弓矢具などが数多く出土しています。
二つの主要な埋葬形態
墓には、関節構造を持つこともある架空の動物像、金細工の装飾品、鉄製の道具などが豊かに納められ、中国の影響を受けた文物も見つかっています。遺体は個別の墓に埋葬されるか、あるいは複数体が一緒に納められる集合墳墓に安置されました。自然乾燥によってミイラ化した遺体もあれば、さらに驚くべきことに、等身大の葬用人形も存在していました。これは革で作られた人間大の像で、中に乾燥草を詰め、顔に仮面を取り付けることができるものでした。
長らく考古学者たちは、こうした人形を妻や従者の象徴的な代替物と考えてきました。ところがX線検査を行ったところ、胸部の位置に小さな羊皮の袋が収められていることが判明。その中には故人の火葬された遺骨が入っていたのです。つまり、これらのマネキンは実質的に火葬壺だったという衝撃の事実が明らかになりました。
デスマスクの制作技術
デスマスクは、カオリンと石膏粉(硫酸カルシウム)を砂と混ぜた粘土状の素材で作られました。このペーストは故人の顔に直接塗って成形されるのが基本でしたが、布片の上に施される場合もあり、首や耳までも覆うことがありました。作業に先立って、死者の脳は穿孔術(トレパネーション)によって取り除かれています。乾燥を終えた仮面には顔料による装飾が施されましたが、これは当時の男女が実際に顔に入れていた刺青(タトゥー)を再現したものと考えられています。
こうした極めて写実的な葬送習慣は、ロシアの文化遺産の中でも屈指の貴重な財産であり、保存状態の良い数少ない実例は現在、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館で公開されています。
謎に包まれた戦士の民
ヨーロッパ系の出自をもつとされるタシチク人は、西ローマ帝国滅亡期の激動(5世紀)まで、ミヌシンスク盆地の大平原の東側に暮らしていたと考えられています。この戦士の民は、それ以前に同地域を支配していた先住民族タガール人の領域に出現し、その後数世紀を経て、プロト・モンゴロイド系を主体とする諸文化と混ざり合っていきました。彼らの移住時期については、シベリア考古学史を彩る大きな論争テーマとなっています。
さらに、タシチク人はショル人、アルタイ人、テレウト人、ハカス人といった南シベリアの諸先住民族の祖先である可能性も指摘されています。これらの民族との間には、葬送儀礼をはじめとする多くの共通点が認められるためです。