
アンリー1世の生涯
アンリー1世(Henri Ier、1008年 - 1060年)は、カペー朝のフランス王(在位:1031年 - 1060年)です。「敬虔王」と呼ばれたロベール2世の次男として生まれ、1026年には父王によって共同統治者として王位継承者の地位に就きました。
結婚と家族
アンリーは最初、神聖ローマ皇帝コンラート2世の娘マティルドと結婚しましたが、彼女が早世した後、キエフ大公ヤロスラフ1世の娘アンナを後妻に迎えました。この縁組は、当時としては珍しい東欧との婚姻関係として注目されています。
王位継承をめぐる争い
即位後、アンリーは母后コンスタンス・ダルルが三男ロベールを王位に据えようとしたこと、さらに強大な勢力を持つブロワ伯ウード2世との対立という二つの難題に直面しました。アンリーは父から受け継いだブルゴーニュ公国を異母弟ロベールに譲渡することで、この紛争を巧みに収拾させました。
ノルマンディー公ギヨームとの関係
1047年、アンリーは後に「征服王」として知られるノルマンディー公ギヨームと同盟を結び、ヴァル・エ・デューヌの戦いで勝利を収めました。しかし、ギヨームの急速な勢力拡大を警戒するようになり、両者の関係は次第に悪化。晩年にはノルマンディーへの遠征を試みましたが、成功することはありませんでした。
死と後継者
アンリー1世は1060年に死去し、息子のフィリップ1世が王位を継承しました。
系譜
敬虔王ロベール2世 → アンリー1世(フランス王、在位1031年 - 1060年) → フィリップ1世