歴史上の人物

シャルル=フランソワ・ルブラン(1739年~1824年)|第三統領としてナポレオンを支えたフランスの政治家

シャルル=フランソワ・ルブラン(1739年~1824年)|第三統領としてナポレオンを支えたフランスの政治家シャルル=フランソワ・ルブラン(Charles-François Lebrun、1739年3月19日 – 1824年6月16日)は、フランス革命から第一帝政期にかけて活躍したフランスの政治家です。憲法制定議会の議員を務め、テロル時代に投獄された後、1795年に元老会(長老院)議員となりました。1799年のブリュメール18日のクーデター後には、ナポレオン・ボナパルト(第一統領)およびカンバセレス(第二統領)とともに第三統領に就任し、主に財政行政を担当しました。1804年の帝政樹立に伴って帝国大蔵卿に任じられ、さらに1810年には、兄ナポレオンと対立して退位したルイ・ボナパルトの後を受けて、ホラント(オランダ)の統治を委ねられました。

革命前の経歴

ルブランはノルマンディー地方サン=ソーヴェール=ランドランの農家に生まれました。パリで学んだ後、高等法院改革を進めた大法官モープーの秘書・協力者として頭角を現し、王領地監察官などの要職を歴任します。財政・行政に関する卓越した実務能力には早くから定評がありました。

フランス革命と投獄

1789年、三部会においてドゥルダン選挙区の第三身分代表に選出され、憲法制定議会の議員となりました。穏健派として立憲君主制を支持し、急進的な政策とは距離を置いていました。しかしジャコバン独裁期(テロルの時代)には反革命的な嫌疑をかけられて逮捕・投獄され、テルミドールの反動の後に釈放されています。

元老会議員から第三統領へ

1795年、元老会(長老院)の議員となり、一時はその議長も務めました。1799年11月のブリュメール18日のクーデターで権力を握ったナポレオン・ボナパルトは、カンバセレスとともにルブランを統領に任命します。第一統領ナポレオン、第二統領カンバセレスに対し、ルブランは第三統領として国庫・財政部門を担当し、その実務的手腕によって統領政府の財政基盤の安定に大きく貢献しました。

帝国大蔵卿とホラントの統治

1804年、ナポレオンが皇帝に即位すると、ルブランは「帝国大蔵卿(アーシュトレゾリエ)」の称号と職務を与えられ、帝政の財政運営を支えました。1808年にはピアチェンツァ公爵に叙せられています。そして1810年、ホラント王ルイ・ボナパルトが兄皇帝との対立によって退位すると、ルブランは同地域の総督に任じられ、フランスに併合されたオランダの統治にあたりました。彼はオランダの経済状況や国民感情への配慮を忘れず、現地の理解を得られるよう努めたと伝えられています。

晩年

1813年末から翌年にかけて連合軍の進撃によりオランダから撤退した後、ルブランは公職から退きました。復古王政期は隠棲して静かに暮らし、1824年6月16日にサント=メーム(現在のイヴリーヌ県)で死去しました。享年85歳でした。革命前の旧体制から帝政崩壊まで、激動の半世紀にわたりフランス政治の中枢で実務を支えた人物として記憶されています。