歴史物語

「ニューヨークに爆弾を!」ドイツはいかにしてアメリカ本土攻撃を企てたか

ヒトラーは、アメリカを弱体化させ、威嚇し、士気を剥ぐ最善の策はニューヨーク爆撃にあると考えていた。しかし、ヨーロッパとアメリカ東海岸の間には約6,500キロメートルという絶大な距離が横たわっていた。ドイツにはその航続距離を持つ爆撃機が存在せず、「アメリカ爆撃機(Amerika Bomber)」の開発計画は終戦直前まで試行錯誤を繰り返すことになる。結局、マンハッタンに爆弾が落ちることはなかったが、ドイツはその目前まで迫っていた。

アメリカの孤立主義と大西洋という防壁

アメリカの孤立主義、平和主義、ヨーロッパの紛争への不介入姿勢は、旧大陸との物理的な距離の遠さに大きく起因する。「アメリカ人はヨーロッパの問題に関心も知識も持たない」。第一次、第二次世界大戦ともに、アメリカが「アメリカの少年たち」を海の向こうの戦場へ送り出す瞬間は、可能な限り先送りされたのである。

第二次大戦中、この「回避」政策を支えたのは、アメリカ本土が空襲、砲撃、ロケット攻撃の脅威にさらされていなかった事実だ。大西洋が東からの侵攻を防ぐ安全な防壁となり、太平洋が西から日本帝国を隔離していた。この二大洋こそが、東西両岸のアメリカ都市に戦時下でも安眠をもたらす、最良かつ確実な盾となっていたのである。

目覚めぬヨーロッパ、標的とされたアメリカ

一方、ヨーロッパには眠りなどなかった。ドイツの爆弾が降り注ぐイギリス、昼夜を問わず英米の爆撃機に晒されるドイツ。ヒトラーの側近たちもまた、開戦から終戦まで、アメリカをいかに強打し、戦争から手を引かせるか、あるいはヨーロッパでの軍事関与を制限させるかという解決策を探し続けた。「ドイツ参謀本部は、アメリカ東海岸の都市と工業地帯を爆撃し、アメリカ国民を威嚇して平和主義感情を煽る方法を模索していた」のだ。

皮肉なことに、ヒトラーらはアメリカの民主主義を信じていた。「空襲で動揺した世論がホワイトハウスを説得し、撤退へ追い込む」と確信していたのである。アメリカ軍が大陸から撤退し、対英・対ソ援助が止めば、ドイツはポーランド、ベネルクス、フランス、ノルウェー、バルカン半島などの占領地を維持したまま、有利な条件で戦争を終結できるとんでいた。

「ニューヨークに爆弾を!」ドイツはいかにしてアメリカ本土攻撃を企てたか
爆撃後のロンドン

長距離爆撃機を持たぬドイツ空軍

1930年代以降、ドイツ空軍は技術的・質的に大きな飛躍を遂げたが、長距離戦略爆撃機だけは手にしていなかった。「まず戦闘機と急降下・水平爆撃機、すなわち戦場での直接支援機――前進する『装甲師団』の道を開く機体――の建造に注力した」ためだ。戦前から開戦初期にかけ、大半の設計局と工場はこのドクトリンに合わせられていた。長距離機の開発に携わったのは、ごく少数の工場と技術者グループに過ぎなかった。

複雑な設計と莫大なコスト(4〜6基のエンジンなど)ゆえ、こうした機体は少数生産にとどまり、極めて慎重に運用された。「機体と搭乗員を失うリスクを伴う危険な任務には投入されなかった」。大型爆撃機・輸送機は任務を遂行し、必ず本国の基地へ帰還することが求められた。たとえ最高価値の標的であっても、機体と搭乗員を犠牲にする計画は存在しなかったのだ。

あまりに遠く、あまりに高コスト

ドイツ参謀本部は開戦前からアメリカ侵攻計画を温めていた。「しかし、フランス敗北とその西海岸占領によって初めて、『大西洋横断』飛行・爆撃計画が本格化した」。フランスの飛行場から発進すれば、ドイツ発より数百キロメートル距離を短縮できる。それでも西端のブレストからニューヨークまでは約6,000キロメートル。往復を考慮すれば、13,000キロメートル以上の航続距離が必要となる。「現代でも、空中給油なしでこの距離を飛べる機体は限られている」。

1941年、空軍は「グロースラウムUSA(米国領域)」計画を策定し、対米爆撃の多様なオプションを検討した。単機での任務では、たとえニューヨーク上空に達しても、アメリカ人を威嚇するには不十分と判断された。「多数の長距離爆撃機、大型爆弾、そしてそれらを飛ばす航空燃料が必要」だった。燃料の確保はソ連領コーカサスの油田に期待されたが、そのためにはまず赤軍を撃破し、油田を確保・輸送ルートを確立しなければならなかった。

参謀本部の検討と並行して、技術者たちの設計作業も続けられた。長距離爆撃機・輸送機の新設計、旅客機の爆撃機改修、さらには「二機の爆撃機を一枚の翼で結合し、航続距離と搭載量を増やす」案まで浮上した。空中給油の実用化にも真剣に取り組み、試験を重ねた。「爆撃機が……飛行タンカーを牽引し、戦略爆撃機の航続距離を倍増させる」構想まで検討されたのである。

「アメリカ爆撃機」計画と多様な試案

攻撃計画で検討された数十機の設計をここで全て紹介するのは紙幅の都合上不可能だが、特筆すべきいくつかを挙げよう。1939年秋にはすでに長距離爆撃機He177が存在したが、「エンジントラブル、火災、空力上の問題が終戦まで解決されなかった」。

メッサーシュミット設計局では多用途機Me261と超大型爆撃機Me264が開発された。後者は航続距離20,000キロメートル、搭載量5トンを謳った。ユンカースでは巨大なJu290とJu390が進められ、Ju390は翼幅50メートル、BMW801Eエンジン6基を搭載する予定だった。「ブローム・ウント・フォス社は、離着水型の飛行艇(水上機)建造を命じられた」。BV238は6基のエンジン、航続距離7,000キロメートル超、翼幅60メートル、全長43メートルの巨体で、実際に建造され実戦投入された。その巨大さと運用上の困難さは、YouTube等で公開されている映像を見れば一目瞭然だ。

「ニューヨークに爆弾を!」ドイツはいかにしてアメリカ本土攻撃を企てたか
Me264超大型爆撃機は航続距離20,000km、搭載量5トンを目標とした

ヒトラーが求めたのは、対米爆撃機というより、大西洋で狼群(ヴォルフスルーデル)戦術を展開するUボートを支援できる長距離機だった。アラド社は双発のAr340(爆装3トン)を提案し、量産能力はないながらも5種類もの長距離爆撃機バリエーションを用意した。うち1機は「理論上、フランスからニューヨークへ5トンの爆弾を運び、帰還可能」だったが、「図面上にしか存在せず、エンジンもなく、技術者自身も実現性に懐疑的」だった。

フォッケ・ウルフ社も「コンドル」として知られる大型旅客機Fw200の改良・長距離化で参戦した。しかし「フォッケ・ウルフの『大西洋横断ライナー』が完成することはなかった」。Fw300は1944年に中止、Fw238は却下され、全く異なる『未来の機体』Ta400へリソースが振り向けられた。終戦までに、数十の真偽入り混じる長距離爆撃機プロジェクトが机上に並ぶことになる。

攻撃計画の実行を困難にしたのは、ヒトラー自身でもあった。彼は終戦まで「特攻任務」を禁じた。ルフトヴァッフェには機体と志願するパイロットがいたにもかかわらずだ。アメリカ襲撃後に大西洋へ機体を捨てる案は検討されたが、「アルカイダが2001年9月11日に実行したような自爆攻撃は想定されていなかった」。ルフトヴァッフェは高価な機体を海上放棄することにも難色を示した。パラシュートで降下し、Uボートに回収されて帰還する案さえ退けられた。「攻撃側と搭乗員が必ず帰還する」という前提が、対米爆撃の可能性を根本から封じたのである。

大西洋真ん中の飛行場と「パウケンシュラーク」作戦

ドイツ屈指の技術者たちをもってしても、フランス海岸をアメリカ海岸に近づけることはできなかった。「解決策を提示したのは……ヒトラー自身だった。1941年5月、カナリア諸島かアゾレス諸島の占領を提案したのだ」。大西洋真ん中のこれら諸島に爆撃機・哨戒機用飛行場とUボート基地を建設する構想だ。しかし、地中海のマルタ島すら攻略できなかったドイツが、大西洋のど真ん中で上陸作戦を行い、重装備を展開することは不可能だった。ベルリンの参謀本部は、「今ここ」で使える技術的解決策を探り続け、設計局と工場では長距離爆撃機開発が続けられた。

空からの攻撃が不可能と判断されると、ドイツは海から、正確には海中からの攻撃へ舵を切った。「パウケンシュラーク(太鼓の一撃)」作戦は1942年1月13日に開始された。アメリカが真珠湾攻撃(1941年12月7日)を受け、中立を捨てて参戦した直後のことだ。ドイツは迅速に戦力を新たな敵へ向けた。最初に11隻のUボートがアメリカ東海岸へ派遣され、続々と増援が送られた。「主目的は沿岸商船輸送を麻痺させ、イギリスへの軍需物資輸送を妨害すること」。副次的にアメリカ世論を威嚇する狙いもあった。

「ニューヨークに爆弾を!」ドイツはいかにしてアメリカ本土攻撃を企てたか
「パウケンシュラーク」作戦は沿岸商船輸送を麻痺させ、対英軍需輸送を妨害することを目的とした

Uボートは都市を直接攻撃しなかったが、戦果は大きかった。U-123がニューヨーク港入口付近で活動し、他のUボートも駆逐艦の護衛なしで航行するアメリカ商船を沿岸で次々と撃沈した。Uボート乗組員は海からアメリカの都市を眺め、ヨーロッパの都市のように灯火管制がされていないことに驚いたという。「パウケンシュラーク作戦中、十数隻のUボートが87隻、総トン数50万総登録トン以上のアメリカ船を撃沈した」。デーニッツの潜水艦隊の成功は、ベルリンに「ニューヨークを爆撃できる航空機」の探索を継続させる動機となった。さらに「宇宙的」とも呼べるアイデアも検討されるようになる。

「撃って帰る」ための模索

検討されたのは、実戦投入された「ミステル(複合機)」システムのように、大型爆撃機が小型機を背負ってアメリカ沿岸近くまで運び、切り離して帰還させる案だ。「小型機(例:Me109)がニューヨークなどに1,000キロ爆弾を投下し、パイロットは良くて捕虜になる」という想定だった。母機から無人ミサイルや誘導爆弾を発射する案もあったが、当時のドイツ誘導技術では命中精度が保証されなかった。

開戦3年目には、潜水艦から水中発射するロケットの研究も進められ、黒海で実戦配備された可能性もある。しかし、「ロケット搭載Uボートは、気まぐれで敵対的な大西洋の海況を克服できなかった」。アメリカ沿岸到達時にはロケットが発射可能な状態を保てる保証がなかった。また、艦載ロケットは小型で弾頭も小さく、期待する打撃を与えられないとして、大規模実用化は見送られた。ヒトラーはアメリカを屈服させる「決定的な一撃」を求めていたのだ。

原子爆弾か、V2か

ドイツの原子爆弾開発は終戦直前まで進められ、かなり進展していた。しかし連合国は執拗に妨害し、ノルウェーの重水輸送・施設への空襲などで研究・生産を遅らせ続けた。「ドイツの分析では、マンハッタンへの原爆投下は都市を壊滅させ、アメリカを停戦に追い込めるとされた」。だがドイツも1945年までに「核」を実用化できないことは承知していた。代わりに手元にあったのがV2ロケットと移動式発射台だ。1944年9月からパリ、ロンドン、アントワープなどへ発射され、終戦までに「実に5,500発以上」が撃ち込まれた。

V2が比較的容易に入手でき、ロンドン攻撃が「成功」と評価されたことから、ドイツ技術者たちはこのロケットでアメリカを攻撃できないかと思い至った。問題はV2の射程が約400キロメートルしかないことだ。解決策は、ロケットと発射台をアメリカ沿岸付近まで輸送することだった。V2を搭載・水中発射可能なUボートの設計、Uボートが曳航する台船を発射プラットフォームとする案が浮上した。

画期的かつ当時としてはモダンな解決策が「プリュフシュタントXII(試験台XII)」だ。Uボートが、発射準備を整えたロケットを収めた巨大な金属シリンダーを曳航する。標的付近の海上でシリンダーに海水を注入し垂直に立て、Uボートから要員を移乗させて発射準備・実行を行う。1944年12月に契約が結ばれ、バルト海で試験が行われたが、実戦投入には至らなかった。

「ニューヨークに爆弾を!」ドイツはいかにしてアメリカ本土攻撃を企てたか
プリュフシュタントXII

この方式での対米攻撃実行は極めて困難だった。大西洋横断曳航に30日を要し、液体燃料は不安定だった。「発射準備完了のロケットがシリンダーから出て、海面に浮上し、さらに目標に命中する保証はどこにもなかった」。

最も異色かつ「宇宙的」なアイデアは、成層圏から爆撃するロケット爆撃機だ。「ザンガーの単座宇宙機は、速度10,000〜18,000km/h、航続距離30,000kmを想定していた」。ドイツから離陸しニューヨークを爆撃、日本占領下のオセアニア諸島へ着陸する。高度80キロメートルで飛行する。「しかし、想定速度では爆弾の照準が全く不可能だった」。当時の照準器で高度100キロ、速度15,000km/hから都市を狙えば、「爆弾が目標から……1,000キロメートルも外れる可能性があった」!! 赤軍がベルリンから80キロのオーダー川まで迫る中でロケット爆撃機の研究が進められていた事実は、ドイツ技術者が現実逃避していたことを意味しない。戦後、彼らの多くのプロジェクトは、勝利国であるアメリカ、イギリス、ソ連に引き継がれていくのである。

もし爆弾がマンハッタンに落ちていたら

開戦当初から、ドイツ参謀本部、多数の科学者・設計者チームがアメリカ本土攻撃と戦線離脱を目指し、数十の計画・アイデア・具体的技術案を生み出し、終戦直前まで試験・テストを繰り返した。「振り返れば、その労力は徒労に終わり、科学的ポテンシャルは浪費されたと言わざるを得ない」。ドイツは、対米攻撃が逆効果になる可能性を考慮していなかった。真珠湾攻撃後、アメリカ国民は政府に強力な軍事的報復を求め、それが広島・長崎への原爆投下へとつながった。2001年9月11日のアルカイダによる攻撃も同様で、平和主義・孤立主義のアメリカはアフガニスタンに侵攻し、テロ支援のタリバンを打倒した。

もしドイツの爆弾がマンハッタンに落ちていたなら、アメリカの反応は苛烈を極めたはずだ。アメリカの爆撃機はドレスデンやハンブルク以上の規模でドイツ都市を廃墟にし、戦後の占領はドイツ人にとって「保養地」ではなく「生存競争の場(サバイバル・キャンプ)」になっただろう。

参考文献:

  1. マンフレート・グリール 『ルフトヴァッフェ・オーバー・アメリカ:第二次大戦における対米秘密爆撃計画』 ベローナ社刊
  2. ロジャー・フォード 『第三帝国の秘密兵器』 ゴール社刊
  3. ヴァルター・シック、インゴルフ・マイヤー 『ルフトヴァッフェ秘密プロジェクト』 プロフィット・S社刊