「最も論理的な頭脳」の持ち主が、なぜ心霊主義へ?
アーサー・コナン・ドイル卿は、20世紀で最も論理的な頭脳の持ち主の一人でした。彼は名探偵シャーロック・ホームズを生み出しただけでなく、自らも実際に犯罪捜査に携わった人物です。そんな彼が、なぜ熱心な心霊主義者(スピリチュアリスト)になったのでしょうか。
「友人たちからよく二つの質問を受けます。一つ目は、どのようにしてシャーロック・ホームズを書き始めたのか。もう一つは、なぜ心霊主義者になったのか、そして心霊主義とはどのようなものなのか、ということです」
1930年5月14日、コナン・ドイル卿はラジオ放送でこう語り始めました。この二つの問いはどちらも魅力的ですが、同時に答えることはできません。シャーロック・ホームズ誕生のインスピレーションをたどれば、時代を代表する最も偉大で論理的な頭脳の一つに行き着きます。一方、コナン・ドイルの心霊主義的な人生を探れば、この著名な作家のまったく新しい一面が見えてくるのです。
忘れてはならないのは、コナン・ドイル卿が名探偵について書くだけでなく、自らも刑事事件を解決していたということです。そのうちの一つは、マーガリット・フォックス著『アーサー・コナン・ドイルと殺人事件――シャーロック・ホームズの生みの親による実録捜査』で描かれています。この本を読み進めるうちに、非常に興味深い記述に出会いました。なんとコナン・ドイルは心霊主義者だったのです! 時代で最も論理的な頭脳の持ち主が、幽霊を信じていたということがあり得るのでしょうか? ここでは、その経緯と、ドイル自身が何を語っていたのかを見ていきましょう。

本記事は『アーサー・コナン・ドイルと殺人事件』に触発されたものです
心霊主義とその起源
心霊主義の起源は、1848年のニューヨークにさかのぼります。当時11歳のマーガレッタ・フォックスと8歳のケイト・フォックスの姉妹が、自宅で聞こえる奇妙なノック音について公に語り始めたのです。二人は、それは幽霊たちがモールス信号を使って自分たちとコミュニケーションを取ろうとしているのだと考えました。世間は幼い少女たちを嘲笑するだろうと思われましたが、そうはなりませんでした。それどころか、2年後には心霊主義は一種の流行となったのです。
心霊主義は急速に宗教運動へと発展しました。その基本的前提は、来世の存在と、人間が霊媒(メディウム)を通して死者の世界と交信できるという信念です。心霊主義はシャーマニズムにルーツを持つため「世界最古の宗教」とも見なされましたが、さらに重要なのは、宗教史上初めて、精神生活と科学の世界を結びつけたことです。

心霊運動の火付け役となったフォックス姉妹
左から:マーガレット、ケイト、リア・フォックス
発展と思想をめぐる闘い
心霊主義運動が急速に広まった理由はいくつかあります。その一つがきわめて民主的な性格です。人々が平等な権利を持たず、奴隷制すら存在していた時代に、心霊主義はあらゆる人を受け入れました。才能のある者なら誰でも霊媒になれたのです。カトリック教会では指導的立場を一切認められなかった女性たちを中心に、多くの人々を惹きつけたのも当然といえるでしょう。
来世という新しい宗教教義の基礎を築いたのは、スウェーデンの神秘家エマヌエル・スヴェーデンボリと、催眠トランス法を開発したドイツの医師フランツ・アントン・メスマーでした。アメリカ合衆国から始まったこの運動は、イギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、そしてラテンアメリカへと広がっていきました。
しかし早くも1860年頃には、心霊主義は人気を失い始めます。最大の原因は、偽物の霊媒が次々と現れたことでした。それだけではありません。1860年代はまさに南北戦争の時期であり、人々の関心と行動は別の場所に向かっていたのです。
心霊主義運動が再び栄華を取り戻すのは1920年代のこと。ここで、本記事の主人公であるアーサー・コナン・ドイル卿が舞台に登場します。

アーサー・コナン・ドイル
コナン・ドイルと心霊主義の栄光の日々
シャーロック・ホームズの生みの親であるドイルは医学教育を受けましたが、彼自身が述べているように、その教育によって宗教的不可知論者(アグノスティック)になりました。死後の生存の可能性を信じていなかった人物が、どうやって来世の堅信者になったのでしょうか?
偉大な頭脳の特徴は、常に新しいアイデアや事実、研究に対して開かれていることです。コナン・ドイルも例外ではありませんでした。1887年、彼は心理学実験に出会い、特にテレパシー(精神感応)に強い印象を受けたのです。
このアイデアに魅了されたドイル卿は、友人とともに一連のテレパシー実験を行いました。その結果、彼はその後20年以上にわたって研究し続けることになる問いを自らに立てました。もし偉大な精神同士が言葉を使わずにコミュニケーションできるなら、その精神は肉体から離脱した後にも同じような交信が可能なのだろうか?
長年の研究と実験、そして同じテーマに取り組む他の研究者たちとの結果比較を経て、コナン・ドイルは、そのような交信は疑いようもなく可能であると結論づけたのです。
コナン・ドイルの研究と心霊活動は、歴史上非常に困難な時期と重なっていました。戦争の時代、人々の人生において「愛する人に何が起きたのか?」という問いが頻繁に投げかけられる瞬間です。
「我らの息子たちはどこにいるのか?」――この問いとともに、ドイルは自らが活動した時代の空気を要約しました。1930年5月14日のラジオ放送で彼がさらに述べたように、そうした困難な時期に、教会も科学も、当時ほぼ最重要だったこの問いに答えを与えることはできませんでした。シャーロック・ホームズの生みの親とその妻は、自分たちが答えを知っていると考え、12年にわたって人々に自らの見解を説き続けたのです。
「この新しい知識の中に、あなた方の現在の信仰の基盤を破壊しうるものは何もありません。むしろ逆で、他のどんな哲学体系も提供できなかった知識と確信の感覚を付け加えてくれるのです。あらゆる宗教の基盤は、死後の生命が存在するという事実であり、これを真理として証明することが、私の考えでは最も必要なのです」――とドイルは説きました。

多くの人は心霊主義運動が宗教的基盤を破壊すると考えた――しかしコナン・ドイルはその見解は正しくないと主張した
アーサー・コナン・ドイル卿は、研究し、他人を説得するだけにとどまりませんでした。1926年には、全684ページに及ぶ二巻の大作『心霊主義の歴史』を発表しています。この中には、フォックス姉妹の物語をはじめとする心霊主義に関わる多くの重要人物の逸話や、心霊主義の宗教的側面、心霊主義者たちの来世観などが綴られています。
こうしてみると、心霊主義は、適切な時代を捉えた重要な宗教運動だったことがわかります。すでに亡くなった愛する人と連絡が取れるかもしれないという約束は、人々を悩ませていた多くの問いに答えるものだったのです。心霊主義は何をもたらしたのか? 最後に、アーサー・コナン・ドイル卿自身の言葉を借りましょう。
「人々は尋ねます。心霊主義から何を得られるのか、と。まず第一に得られるのは、死への恐怖を完全に取り除けるということです。第二に、心霊主義は、失ってしまったかもしれない愛する人たちとの断絶を埋めてくれるのです」

本記事は『アーサー・コナン・ドイルと殺人事件』に触発されたものです