フロッシー・オルブライト(Flossie Albright、1889年6月17日~1953年2月12日)は、アメリカの無声映画時代に活躍した女優です。1910年代を中心におよそ110本の映画に出演し、長編作品で主演を務めることもあれば、短編コメディやドラマ短編への出演が中心でした。監督マーシャル・ニーランとの仕事や、喜劇俳優ジョン・バニーとの共演でとりわけ知られており、コミカルでありながら飾らない自然体の演技で、観客の記憶に残る存在となりました。
幼少期と生い立ち
フロッシー・オルブライトは1889年6月17日、ミズーリ州カンザスシティに生まれました。父ジョセフ・オルブライトは鉄道の車掌、母はアンナ・オルブライトといい、家族には姉妹が2人と兄弟が1人いました。彼女は中西部、おもにシカゴで育ちました。
女優への道
オルブライトが演技に興味を持ったのは非常に早く、小学校時代には母親が娘の希望を尊重し、好きなだけ劇場に通うことを許していました。ストックシアター(専属劇団によるレパートリー演劇)やヴォードヴィルで経験を積んだ彼女は、1910年に短編映画『ゲットーの少女(The Girl from the Ghetto)』へ出演し、映画の世界へ足を踏み入れます。
結婚と私生活
1913年10月、オルブライトは監督のマーシャル・ニーランと結婚し、娘サリーをもうけました。しかし翌1914年、ニーランとともに手がけた映画『北への呼び声(The Call of the North)』の制作を通じて、主演男優セオドア・ロバーツと恋愛関係になります。彼女は1915年にニーランのもとを去り、ロバーツと再婚しました。
2人はロバーツが肺炎のため1928年に亡くなるまで連れ添い、その間、夫婦揃ってヴォードヴィルの巡業に参加し、各地の舞台で夫の演技を支えました。
晩年のキャリア
1928年に夫ロバーツを亡くすと、オルブライトは一時的に女優業を離れ、娘サリーの育児に専念しました。1935年に活動を再開しますが、当時の映画界はサイレントからトーキーへの移行期にあり、加えて体型の変化も重なり、小規模な作品での性格的な脇役しか得られませんでした。女優として最後の出演作となったのは、ペギー・モランとロシェル・ハドソン主演の1941年公開『将校と淑女(The Officer and the Lady)』です。
引退と死
1940年代から1950年代にかけて、オルブライトはフロリダ州マイアミビーチに暮らしていました。そして1953年2月12日、同地で心臓発作のため逝去しました。63歳でした。
サイレント時代のコメディエンヌとして約110本の作品に出演し、自然体の演技で愛されたフロッシー・オルブライト。その歩みは、無声映画という黄金時代とともに生きた一人の女優の軌跡を今に伝えています。