グロバー・クリーブランド(Grover Cleveland)は、アメリカ合衆国の歴史において非常にユニークな存在です。彼は第22代大統領(1885年〜1889年)と第24代大統領(1893年〜1897年)を務め、任期が連続しない形で2度大統領に選ばれた最初の人物となりました(なお、2024年選挙で再選を果たしたドナルド・トランプも同じ記録を持つことになりました)。2つの任期の間には、ベンジャミン・ハリソンが第23代大統領として在任しています。
第一期(1885〜1889年):関税引き下げを掲げた大統領
クリーブランドは、保護貿易主義的な高関税に批判的な立場を取っていました。1887年の議会への教書演説では、演説全体を関税改革の問題に捧げるという異例の措置を取り、関税引き下げを強く訴えました。民主党主導の下院は関税引き下げを盛り込んだ「ミルズ法案」を可決しましたが、上院では否決されています。
1888年の大統領選挙では、クリーブランドは一般投票で勝利したものの、選挙人投票でベンジャミン・ハリソンに敗れました。この選挙では関税問題が最大の争点の一つとなりました。
ハリソン政権下で成立したマッキンレー関税法
ハリソン政権下の1890年には、平均税率を約48%まで引き上げる「マッキンレー関税法」が成立しました。しかし、この高関税政策は消費者の不満を招き、クリーブランドの政治的復帰を後押しする一因となりました。
第二期(1893〜1897年):ウィルソン=ゴーマン関税法と経済恐慌
1892年の選挙でクリーブランドはハリソンを破り、第24代大統領として返り咲きました。しかし、2期目の就任直後の1893年には深刻な経済恐慌(パニック・オブ・1893)が発生し、政権は財政難への対応に追われることになりました。
関税については、1894年に「ウィルソン=ゴーマン関税法」が成立しました。この法律はマッキンレー関税法の税率を約48%から約40%へと引き下げるものでしたが、上院での修正過程で多くの保護主義的な条項が付け加えられ、クリーブランドが目指した本格的な関税改革には程遠い内容となりました。失望したクリーブランドはこの法案に署名せず、署名がないまま法律として成立することを許しました。
また、同法には年収4,000ドルを超える所得に対して2%の所得税を課す条項が含まれていましたが、1895年の最高裁判決(ポロック対農民貸付信託会社事件)により違憲とされ、実際には施行されませんでした。
まとめ
クリーブランドの2期目における関税政策は、第一期から一貫して掲げてきた関税引き下げの理念を受け継ぐものでしたが、経済恐慌や議会内の抵抗に阻まれ、限定的な成果にとどまりました。それでも、ウィルソン=ゴーマン関税法による税率引き下げや所得税導入の試みは、その後のアメリカの租税制度の発展につながる重要な一歩となりました。