歴史物語

サラディンは第3回十字軍に勝利したのか?——リチャード1世との対決の真実

サラディンは第3回十字軍に「勝利」したのか?

「サラディンは第3回十字軍に勝利した」という記述を目にすることがありますが、これは誤解です。実際には、1189年から1192年にかけて行われた第3回十字軍において、サラディンはイングランド王リチャード1世(獅子心王)と激しく対決し、決定的な勝利を収めることはできませんでした。むしろ戦場ではリチャード1世に押し込まれる場面が多く、この十字軍におけるサラディンは「敗北した側」と評価されるのが一般的です。

第3回十字軍での実際の経緯

第3回十字軍では、リチャード1世率いる十字軍がアッコン(アッコ)を奪回し、1191年のアルスーフの戦いでもサラディンの軍勢を撃退しました。サラディンは優れた指導者でしたが、エルサレムを奪還しようとするリチャード1世の攻勢を完全に食い止めることはできず、最終的に1192年のヤッファ条約で講和に至りました。

サラディンが最も輝いたのは1187年

サラディンの名声を不動のものにしたのは、第3回十字軍ではなく、それに先立つ1187年の出来事です。ハッティーンの戦いで十字軍の主力を壊滅させ、同年エルサレムを占領しました。この衝撃こそが、ヨーロッパ諸国に第3回十字軍を起こさせる直接のきっかけとなったのです。

「第2回十字軍の勝者」という点について

なお、第2回十字軍(1147年〜1149年)自体はダマスカス攻囲の失敗により十字軍側が撤退して終わりましたが、当時のサラディンはまだ少年であり、彼個人の勝利と呼ぶには無理があります。サラディンが権力を握り、十字軍国家に対して大きな戦果を挙げたのは、それ以降のことです。

まとめ

第3回十字軍の結果としてエルサレムはイスラム側の手に残りましたが、それはサラディンがリチャード1世に「勝利した」ことを意味するものではありません。両者は互いに決定打を欠いたまま講和し、サラディンにとってこの戦役は、守勢に回らざるを得なかった苦しい戦いだったと言えるでしょう。