1760年代、イギリスは七年戦争(北米ではフレンチ・インディアン戦争)で膨れ上がった財政赤字の埋め合わせとして、北米植民地への課税強化に乗り出しました。その代表的な政策が「砂糖法」「宿営法」「印紙法」です。これらは植民地の人々にとって「代表なくして課税なし」の原則に反する抑圧的な措置と受け止められ、やがてアメリカ独立戦争の火種となっていきました。
砂糖法(1764年)
砂糖法は、砂糖や糖蜜をはじめとする輸入品に関税を課すものでした。イギリス政府は戦費の回収と密貿易の取り締まり強化を目的としていましたが、植民地側にはこの税について議論できるイギリス議会への代表が存在しませんでした。そのため「自分たちの同意なき課税だ」として強い反発を招きました。
宿営法(1765年)
宿営法は、駐留するイギリス軍の兵士に対し、植民地の人々が住居や食料などの物資を提供することを義務づけるものでした。自宅や私有財産を兵士の宿舎として差し出すことを求めるこの法律は、プライバシーおよび財産権の侵害であるとみなされ、大きな不満の種となりました。
印紙法(1765年)
印紙法は、新聞、パンフレット、法律文書などあらゆる紙類の使用に印紙税を課すものでした。情報の発信や集会といった表現の自由に関わる税であることから、植民地全域で大規模な抗議運動が巻き起こりました。この抵抗の中で「代表なくして課税なし」というスローガンが広まり、後のボストン茶会事件へとつながる反英運動の起点となりました。
3つの法律がもたらしたもの
砂糖法・宿営法・印紙法は、イギリス臣民としての基本的な権利を踏みにじる一連の弾圧策であると植民地の人々に受け止められました。各植民地では抗議集会やイギリス製品のボイコット運動が展開され、抵抗の輪は1774年の第一次大陸会議へと結実していきます。そして1775年のレキシントン・コンコードの戦闘を経て、アメリカ独立戦争(1775年〜1783年)が勃発したのです。