「18世紀末にはすでにフランス国民がナポレオン・ボナパルトを支持していた」という見方がありますが、これは史実とは異なります。18世紀が終わる頃まで、ナポレオンはまだ権力の座に就いておらず、フランス第一共和政が宣言された1792年の時点では、彼は革命軍の一士官にすぎませんでした。
1792年、第一共和政の樹立
フランス革命の最中である1792年9月、王政は廃止され、第一共和政が正式に宣言されました。この時期、フランスはヨーロッパ諸国との戦争(フランス革命戦争)に突入しており、国全体が激動の中に置かれていました。国王ルイ16世は翌1793年に処刑され、新生共和政は内忧外患の危機に直面することになります。
当時のナポレオンは「一士官」だった
コルシカ島出身のナポレオン・ボナパルトは、砲兵科の将校として革命軍に属していました。1792年当時の彼は、まだ歴史の表舞台に立つ存在ではなく、革命政府を支える多くの軍人の一人にすぎませんでした。国民から広く知られ、支持されるようになるのは、むしろこの後の出来事によるものです。
頭角を現したのは世紀も終わりに近づいてから
ナポレオンが一躍名声を得たのは、1793年のトゥーロン攻囲戦です。反革命勢力とイギリス艦隊を撃退した功績により、彼は急速に昇進を重ねました。さらに1795年にはパリでの王党派の蜂起を鎮圧し、1796年から始まったイタリア遠征では華々しい勝利を積み上げて、フランス国内における人気を不動のものとしていきました。
権力を握ったのは1799年末
そして1799年11月、エジプト遠征から帰還したナポレオンは「ブリュメール18日のクーデター」によって総裁政府を打倒し、第一執政として実権を掌握します。つまり、フランス国民がナポレオンを指導者として受け入れ始めたのは、まさに18世紀のごく最後の数か月のことだったのです。
まとめ
18世紀末の大部分において、ナポレオンはまだ権力者ではなく、革命軍の一士官にすぎませんでした。彼に対する国民の支持は、トゥーロンやイタリア遠征での軍事的成功を通じて徐々に築かれ、1799年のクーデターによって初めて政治的権力という形となって結実したのです。「世紀末までに国民がナポレオンを支持していた」という理解は、「世紀の最後の瞬間にようやく支持と権力が結びついた」と捉えるのが正確だといえるでしょう。