セーヴル条約(1920年)は、第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国と連合国との間で締結された講和条約ですが、実際にはほとんど機能することはありませんでした。その最大の理由は、この条約がトルコ大国民議会によって批准されなかった点にあります。
セーヴル条約とはどのような条約だったのか
セーヴル条約は、オスマン帝国の領土を大幅に縮小し、アナトリア地方の分割や列強による勢力圏の設定などを定めた、極めて厳しい内容のものでした。首都イスタンブール周辺の管理が国際化されるなど、トルコ人にとって到底受け入れがたい条件が数多く盛り込まれていました。
ムスタファ・ケマル・アタテュルクによる拒否
当時、ムスタファ・ケマル(後のアタテュルク)が率いるトルコ国民運動は、この条約を一方的かつ不当なものとして完全に拒否しました。第一次世界大戦後、連合国はトルコの一部地域を占領していましたが、国民運動はこれに対抗して武装闘争へと踏み出します。こうして始まったのがトルコ独立戦争です。
独立戦争の勝利とローザンヌ条約の締結
1919年から1923年にかけて続いたトルコ独立戦争において、トルコ軍はギリシャ軍などを破り、最終的な勝利を収めました。この勝利により、セーヴル条約は事実上無効化されることになります。
そして1923年、新たな講和条約としてローザンヌ条約が締結されました。この条約によってセーヴル条約は正式に廃棄され、同年にはトルコ共和国が成立します。現在のトルコ共和国の国際的な地位は、このローザンヌ条約によって基礎が築かれたといえるでしょう。
まとめ
セーヴル条約が存続できなかったのは、批准されることなく、トルコ国民の強い抵抗と独立戦争という実力行動によって覆されたためです。その結果、より対等な条件を盛り込んだローザンヌ条約が代わりに結ばれ、近代トルコ国家の誕生へとつながりました。