
ハンバーガーヒルの戦いは、ベトナム戦争において最も物議を醸した戦闘の一つとして知られています。「ハンバーガー・ヒル(ハンバーガーの丘)」という通称は、歩兵部隊が主体となった戦闘によってもたらされた凄惨な犠牲の様子を、アメリカのジャーナリストたちが表現するために付けたものです。
戦闘の経過
1969年春、アメリカの情報機関は、ラオス国境に近いアシャウ渓谷一帯に北ベトナム軍の重要な拠点が存在することを突き止めました。これを受けてアメリカ軍は大規模な掃討作戦を立案し、1969年5月10日に作戦を開始します。
南ベトナム軍(ARVN)部隊の支援を受けたアメリカ軍は、山岳地帯の密林の中に、北ベトナム軍によって要塞化された重要拠点を発見しました。それがドン・アプ・ビア山(標高937mの高地、通称「937高地」)です。
5月13日、第187歩兵連隊は強力な砲撃の援護を受けて攻撃を開始しましたが、撃退されます。以降、泥濘む斜面と豪雨の中での消耗戦が続き、アメリカ軍は高地を少しずつ奪取していきました。そして5月20日、1週間に及ぶ激戦の末、アメリカ軍3個大隊と南ベトナム軍1個大隊が北ベトナム人民軍の陣地へ最後の総攻撃を仕掛け、ついにハンバーガーヒルの頂上に到達します。しかし、そこに敵の姿はなく、北ベトナム軍は前夜のうちに撤退していたのです。
戦闘の結果と損害
10日間にわたるこの戦闘で、アメリカ軍は56名が戦死、372名が負傷しました。南ベトナム軍も約30名の損害を出しています。この高地を攻略するために、アメリカ陸軍は約1,800名からなる5個歩兵大隊と10個砲兵中隊を投入しました。さらにアメリカ空軍は272ソーティの支援出撃を行い、450トンを超える爆弾と69トンのナパーム弾を投下しています。
一方、北ベトナム人民軍第29連隊第7・第8大隊は、戦場およびその周辺で確認されただけで630名が死亡しており、その中にはトンネル複合施設内の遺体安置所で発見された遺体も含まれていました。
戦闘終了後、あるアメリカ兵が段ボールにこう書き残したと伝えられています。
「ハンバーガーヒル――それは本当に価値があったのか?」
戦闘がもたらした影響
この戦闘がもたらした反響は、軍事的なものよりも政治的なものでした。戦闘終了後数週間にわたり、メディアでは「この戦闘は必要だったのか」という疑問が繰り返し取り上げられました。特に大きな批判を呼んだのは、6月5日、第101空挺師団の新師団長ジョン・W・ライト少将が、戦うことなくこの丘を放棄したことでした。
「ハンバーガーヒル」をめぐる論争はアメリカ議会にも飛び火し、民主党のエドワード・M・ケネディ上院議員、ジョージ・マクガヴァン上院議員、スティーブン・ヤング上院議員らから厳しい批判が寄せられました。
この戦闘の遂行方法をめぐる論争は、結果的にアメリカのベトナムにおける戦略全体の見直しにつながっていきました。
参考文献
Samuel Zaffiri, Hamburger Hill, May 10 – May 20, 1969 (1988)、ISBN 0-89141-706-0
映画
ハンバーガーヒルの戦いは、1987年に公開されたジョン・アーヴィン監督の映画『ハンバーガー・ヒル』の題材ともなりました。