
ボーイング B-47 ストラトジェットは、アメリカ空軍(USAF)に就役した最初の本格的なジェット爆撃機であると同時に、後退翼を採用した同クラス初の機体でもありました。1946年から1957年にかけて各種派生型が約1,800機生産され、戦略航空軍団(SAC)の中核として1950年代を通じ、そして1960年代半ばまで第一線で活躍し続けました。
大戦中に始まった開発
B-47の開発計画は第二次世界大戦の最中に誕生しました。当時、連合国側の主要な航空機メーカーは、戦争の需要に後押しされてジェットエンジンの可能性を鋭意研究していた時代でした。この計画は幾多の挫折を経験し、担当したボーイングの技術者たちは設計を何度も見直すことを余儀なくされました。
転機が訪れたのは終戦後のことです。ドイツが後退翼研究において先駆的な成果を上げていたことが明らかになると、アメリカも後退翼の採用を本格的に検討するようになりました。以降、開発はこの新しい方向へと進み、1945年10月に新型爆撃機の基本設計がまとめられました。翌1946年4月にはボーイングが予備設計を完成させ、そのわずか1か月後、USAFは「XB-47」と呼ばれる試作機2機の製造を発注します。
歴史的な日に行われた初飛行
1号機が初飛行を果たしたのは1947年12月17日のことでした。この日はライト兄弟による人類初の動力飛行の記念日という、まさに歴史にふさわしい日でした。
完成した機体は優美な高翼単葉機のスタイルを持ち、4つのナセルにエンジンを収める独特の形式を採用していました。内側の2つのナセルにはターボジェットエンジンが2基ずつ搭載されています。試作機は、それぞれ1,701kgの推力を持つアリソン J35 ターボジェット6基を装備していました。乗員は戦闘機のような涙滴形の与圧キャノピーの下に着席し、胴体内には兵装と燃料タンクが収められました。
2号機を推力2,265kgのJ47エンジンに換装した後、ボーイングは10機の初期発注を受注します。B-47Aと呼ばれたこの量産初号機は1950年6月25日に初飛行し、半年後にはUSAFへの引き渡しが始まりました。
量産型の発展 ― B-47BからB-47Eへ

最初の主力量産型となるB-47Bは、1951年4月26日に原型機として初飛行しました。機体構造に変更が加えられたほか、外部増槽の装着と空中給油への対応が大きな特徴です。エンジンにも改良が施され、生産は380機が完成するまで続きました。
部隊への配備は1951年の夏に開始され、ほどなくしてB-47は、各作戦部隊の大規模ローテーション計画の一環として、アフリカ、太平洋地域、そしてイギリスのアメリカ軍基地にも展開していきました。
最多生産型となったB-47E
次期量産型B-47Eの初号機が登場したのは1953年1月30日です。この頃、アメリカ空軍は既存のB-47Bのうち51機を練習機に、24機を写真偵察機に改造していました。新型エンジンと新型兵装、さらには複数の新機軸を備えたB-47Eは、シリーズ中最も多く生産されたモデルとなりました。ウィチタ、タルサ、マリエッタの各組立ラインでは爆撃機型が1,359機製造され、さらに写真偵察型のRB-47Eが255機ウィチタ工場から出荷されました。
全盛期から退役へ
生産は1957年2月15日に終了しました。このとき戦略航空軍団は約1,800機ものB-47を第一線で運用しており、これはそれまでに例のない最大規模でした。しかしこの1957年こそ、ストラトジェット衰退の起点ともなりました。機体は増え続ける一方で、まず偵察型(RB-47K、RB-47H)や練習型(ETB-47E)へと改造され、その後は無人標的機(QB-47)としても使用されるようになりました。最後の機体がUSAFを離れたのは1966年のことです。
主要諸元(B-47E)
- 機体名: ボーイング B-47 ストラトジェット
- 製造会社: ボーイング社(Boeing Airplane Co.)
- 用途: 爆撃
- 就役年: 1953年
- エンジン: ゼネラル・エレクトリック J47-GE-25 ターボジェット ×6基(各2,721kg推力)
- 翼幅: 35.35 m
- 全長: 33.47 m
- 全高: 8.50 m
- 離陸重量: 93,759 kg
- 最大速度: 高度4,968mにて975 km/h
- 実用上昇限度: 12,345 m
- 航続距離: 6,435 km
- 兵装: 20mm機関砲2門、兵装搭載量9,072 kg
- 乗員: 3名