
「一人のパイロットの手の中に、ひとつの空軍を」――1960年代に生まれたこのスローガンは、サンダーチーフ(Thunderchief)の圧倒的な運用能力を、どんな技術解説よりも雄弁に物語っています。同機は極めて先進的な戦闘マシンであり、第二次世界大戦以降にリパブリック社が手がけた数々の優れたプロジェクトの中でも、最高傑作と評価される存在でした。
1954年に「全天候型」超音速攻撃機として設計され、通常兵器と核兵器の双方を運用できるF-105(乗員たちの間では「サッド(Thud)」の愛称で親しまれました)は、戦術航空軍団(TAC)の主力機となり、ベトナム戦争にも投入されました。1963年から東南アジアでの実戦任務に就き、就役後最初の5年間だけで、サンダーチーフは米空軍が実施した全攻撃任務の75%以上を担ったのです。
開発の経緯
リパブリック社は、名機F-84の後継機を開発すべく、自社資金でプロジェクトを開始しました。新機の理論的性能に強い印象を受けた米空軍が関心を示し、1954年に計画は正式に承認されます。こうしてYF-105Aと命名された試作機2機の製造が発注されました。
サンダーチーフは、当時最大かつ最重量の単発・単座戦闘機として姿を現しました。厳しい運用要件を満たすため、技術者たちは最大3,630kgの通常爆弾または核爆弾を収容できる爆弾倉を備えた巨大な胴体を設計しました。さらに約1,814kgの兵装(後に増強)を、胴体下面1か所と主翼下4か所の計5つの外部ハードポイントに搭載可能で、固定武装として20mm機関砲1門を備えていました。
主翼は大きな後退角を持ち、初期量産型では超音速域におけるターボジェットエンジンの給気効率を高めるため、独特な形式のエアインテークが採用されていました。動力系統には当時利用可能な中で最強のエンジンが求められ、最終形態では推力10,660kgのプラット&ホイットニーJ75ターボジェットが搭載され、その後の量産型ではさらに出力が強化されていきました。
試作機は1955年10月22日に初飛行し、続いて1957年5月24日には初の量産型F-105Bが飛行しました。この初期型は75機のみが製造され、1958年5月から実戦部隊への配備が始まります。生産の主体となったのは次のモデルF-105Dで、その試作機は1959年6月9日に初飛行しました。技術者たちは搭載電子機器、とりわけ火器管制システムを大幅に改良し、より強力なJ75ターボジェット(推力12,020kg)へと換装しました。1961年に就役したこの型は、600機以上が製造されています。
1962年、米空軍は次期バージョンとなる複座型F-105Fを発注しました。このモデルは複操縦装置を備えるだけでなく、単座型と同等の運用装備をすべて搭載していた点が特徴です。リパブリック社は143機のF-105Fを製造し、1963年6月から納入を開始しました。
F-105Dの集中的な運用には大規模な近代化改修プログラムが伴い、約350機が対象となりました。ベトナム戦争での実戦経験に基づく改修は、主に「全天候型」攻撃用の管制システムに関わるもので、システムはさらに高度化されました。改修を受けた機体は、背部に目立つ「こぶ」状の構造物を持ち、そこに新型アビオニクスが収められていました。さらに米軍は約30機のF-105Fを改造して電子戦システムを搭載し、レーダーとジャミング装置で機内を埋め尽くしたのです。

ベトナム戦争
ベトナム戦争中、F-105は20,000ソーティ以上に及ぶ出撃を実施し、382機を喪失しました。これは生産総数833機の半分近くに相当する、苛烈な消耗戦の証左です。小型のMiG戦闘機ほどの機動性こそ持たなかったものの、米空軍のF-105は敵機27.5機の撃墜を記録しています。
ベトナム人民空軍による被害を抑制するため、1967年1月には奇策「ボロ作戦(Operation Bolo)」が実行されました。これはF-4戦闘機をF-105に偽装して敵戦闘機をおびき寄せるという巧みな罠でした。

主要データ
就役:1959年
退役:1984年
生産数:833機
国籍
製造国:アメリカ合衆国
運用国:アメリカ合衆国
分類:戦闘爆撃機
諸元と性能

翼幅:10.64m
全長:19.58m
全高:5.99m
最大離陸重量:21,954kg
性能
航続距離:3,220km
最大速度:高度11,580mにて時速2,280km
上昇率:毎分11,700m
実用上昇限度:15,850m
エンジン
プラット&ホイットニー J75-P-19 ターボジェット(推力12,020kg)
武装
20mm機関砲×1門、兵装搭載量6,350kg