アルンヘムへの前進は、午後2時45分まで開始できなかった。先頭に立ったのは、ラズベリー准将の第1空挺旅団隷下の第2大隊である。
市民の歓迎と予期せぬ遅れ
大隊長のフロスト中佐は、オランダの男性、女性、子供たちが大勢集まり、部隊にリンゴ、洋梨、牛乳、紅茶を振る舞う光景を目の当たりにした。礼儀正しいイギリス兵たちは、贈り物を受け取り感謝を伝えるのに手間取り、戦争が終わったと信じている住民たちへの対応で出発が遅れた。中には、ドイツ軍が潜伏しているかもしれない民家に入る許可を住民に求め、手入れの行き届いた小さな庭を囲む花壇や柵を傷つけまいと細心の注意を払う兵士さえいた。
不正確な地図とドイツ軍の抵抗
遅れの理由は他にもあった。ほとんどの地図が不正確で、ある中隊長が嘆いたように「実際より遥かに少ない道路しか記載されていなかった」。フロスト大佐の部隊が進んだ道は、アルンヘムへ向かう最南ルートで、ヘールスムとオーステルベーク南端を通るものだった。ドイツ軍の「非常措置」が最も手薄なルートだったが、抵抗は強力でも組織的でもなかったものの、前進を鈍らせ、時には止めるには十分だった。無線連絡が極めて悪かったアーカート少将は、自ら第2大隊に前進速度を上げるよう命じに向かわざるを得なかった。夜が迫る中、橋はまだ遠かった。
第3大隊の苦戦とクッシン将軍の死
ラズベリー旅団の第3大隊(フィッチ中佐指揮)も難儀していた。北方からオーステルベーク経由でアルンヘムを目指していたが、市街から約3キロの交差点(ヴォルフヘーゼからシトロエン車で颯爽と現れたアルンヘム駐屯地司令クッシン少将が殺害された地点)で、先頭小隊が、すぐに大隊全体が激しい迫撃砲とネーベルヴェルファー(ロケット砲)の砲火を浴びて足止めされた。樹上で爆発するロケット弾が四方に恐怖を撒き散らした。
「この地獄の十字路に留まるのは自殺行為だ」と判断したラズベリー准将は、フィッチ大佐に前進再開を命じた。しかし、クラフト戦闘群が第9師団戦闘群で増強され、複数の突撃砲の支援を得ていたため、第3大隊はオーステルベーク郊外で再び足止めを食らう。夜が明けると、ラズベリー准将はフィッチ大佐らに数時間の休息を提案し、アルンヘム方面へ偵察隊を派遣、フロスト大佐には「第3大隊は明日まで橋への到達を試みない」と伝えた。
ドビー大隊の壊滅的損害
ラズベリー旅団の第1大隊(ドビー中佐指揮)も、朝になるまで橋に到達できる見込みはなかった。本来はアルンヘム北方の高地を占領し、アペルドールンとズトフェンへの道路を遮断する任務だったが、ヴォルフヘーゼ北方を出発直後に戦車、砲兵、歩兵の猛烈な攻撃を受けた。「どっちへ動こうと、轟音のような砲火で押さえ込まれた」と若きノーサンバーランド連隊兵アンドリュー・ミルボーンは語る。死体が四方に散乱し、負傷者が水を求めて呻き、悲鳴と苦痛の叫びが空気を満たした。
残存兵力は森を抜け、ヨハンナ・ホエヴェを経て、甚大な損害を被りながらアルンヘム北郊に到達した。ドビー大佐はもはや幻想を抱けなかった。ドイツ軍が市街北方をあまりに強固に占拠しており、計画通りの占領は不可能と判断し、夜明けとともに橋へ突撃する命令を出した。
孤立するフロスト部隊
フロスト大佐は辛うじて橋に到達していたが、ドビー大隊の支援を必要としていた。手元には500名足らず(自大隊の一部、第3大隊の1個中隊、偵察中隊の一部、工兵分遣隊、兵站要員、旅団司令部要員)しかいなかった。第3中隊は鉄道橋の防衛に割かれていたが、到着時にはすでに爆破されており、市街地で駅を巡る戦闘に巻き込まれていた。
手持ちの兵力で、フロスト大佐は橋の北詰を確保し、周囲の建物を占拠した。しかし、南詰を奪取する2度の試みは、ハルツァーの装甲部隊に撃退された。敵側にはB軍集団から歩兵、砲兵、さらには最新鋭「キングタイガー」戦車まで増援が到着していたが、フロスト側に増援が現れる気配はなかった。
指揮系統の崩壊とアーカート少将の潜伏
アーカート少将はすでに「戦いの指揮を失いつつある」ことを自覚していた。無線で師団作戦を指揮できなくなった彼は、前線の第3大隊と共にいるラズベリー准将の元に留まる決断をした。月曜朝、第3大隊がアルンヘム市内へ前進を再開すると、聖エリザベス・カトリック病院の巨大なゴシック建築周辺で戦車と突撃砲が展開する中、激しい混戦に巻き込まれた。ドビー大隊が駅付近で迫撃砲、装甲車、戦車、狙撃手の猛烈な砲火を浴びて橋への突破を図ったことで、混乱は極みに達した。
「あいつら、戦車が何百両もいるんじゃないか! あちこちから聞こえるし、迫撃砲もこっちより遥かに多く、使い方もうまい。弾が降り注ぎ続けた」とイギリス兵の一人が証言している。
味方の砲火も被害を出した。イギリス部隊が入り組んだ狭い路地や多種多様な建物に入り乱れ、味方と敵、どの家に空挺兵がいてどの家にドイツ兵がいるか判別不能になったためだ。
この混乱の中で、ラズベリー准将は背中を銃弾で撃たれ麻痺した。アーカート少将は装甲擲弾兵に包囲され、ズワルテウェグの民家の屋根裏に、小隊長と情報将校を伴って潜伏せざるを得なかった。家の前にはドイツ軍の突撃砲が陣取っていた。
ヒックス准将の苦渋の決断
師団司令部では、ヒックス准将が指揮を執った。第1空挺旅団は前日、降下地域の確保に当たっていたが、ラズベリー旅団が壊滅寸前となり、橋を目指す残存部隊を増強する時期だと判断された。
ラズベリー旅団にどれだけの戦力が残っているか、ヒックス准将には把握できなかった。無線連絡は依然として不調で、複数の通信機が敵砲火で破壊され、生き残ったものも通達距離は5キロがせいぜいだった。司令部が橋から約12キロ離れていたため、届くのはわずかな雑音と断片的なメッセージだけだった。
こうした状況下で、ヒックス准将は第2サウス・スタッフォードシャー連隊の2個中隊をアルンヘムへ送り込んだが、彼らが直面する状況を正確に把握していなかった。それ以上の兵力を割けなかったのは、イギリス本土の飛行場に霧が残り、第2梯団の輸送が遅延したためだ。第4空挺旅団到着まで降下地域を防衛する兵力も確保しなければならなかった。
イギリス将校の遺体から作戦計画のコピーが発見されたため、ビットリヒ将軍はその内容を把握し、イギリス軍を降下地域から追い出すべく全力を挙げていた。ハッケット准将の第4旅団が到着した時、降下地域は手薄な防備しか敷かれていなかった。