古代の歴史

百年戦争とは?フランスとイングランドが116年間争った中世最大級の紛争

カペー朝最後の王シャルル4世(美男王)の死去は、ヴァロワ家のフィリップ6世(フランス王)とプランタジネット家のエドワード3世(イングランド王)との間に王位継承をめぐる対立を引き起こしました。この継承問題こそが、百年戦争の発端となったのです。

期間:1337年〜1453年

百年戦争とは?フランスとイングランドが116年間争った中世最大級の紛争

主な登場人物

  • 賢王シャルル5世
  • シャルル6世
  • シャルル7世
  • プランタジネット家のエドワード3世
  • エドワード・ウッドストック(黒太子)
  • 善良王ジャン2世
  • ジャンヌ・ダルク
  • ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター
  • ランカスター朝のヘンリー5世
  • 無怖公ジャン(恐れ知らずのジャン)
  • オルレアン公シャルル
  • ヴァロワ家のフィリップ6世

戦争の経過

エドワード3世の反乱を鎮圧するため、フィリップ6世は1259年以来イングランド領であったアキテーヌを、1337年5月24日に没収しました。

1340年、ネーデルラントのスロイス港沖で行われたフランス・イングランド両軍の海戦(スロイスの海戦)は、フランスにとって最初の大敗北となりました。その後、イングランド軍はフランス国内を縦断しながら略奪を繰り返す「騎行(シュヴォーシェ)」を開始します。フランス側も反撃を試みましたが、ソンム県クレシーで行われた戦い(1346年8月26日)でも、強力なイングランド長弓兵(ロングボウ部隊)の前に再び敗北を喫しました。

エドワード3世はカレー攻略(1346年)など連勝を重ね、さらに息子の黒太子の活躍により、ポワティエの戦い(1356年)ではフィリップ6世の死後に即位した新王ジャン2世(善良王)を捕虜とすることに成功しました。

ブレティニー条約と王国の再建

ジャン2世の息子である賢王シャルル5世は抵抗を組織し、1360年にイングランドとブレティニー条約を締結しました。この条約ではフランス王国の広範な領土がイングランドへ割譲される一方、残りの地域におけるフランスの主権は認められました。ジャン2世の死後に即位したシャルル5世は王国の強化に努め、その死後は息子のシャルル6世が後を継ぎます。

しかし、アルマニャック派(オルレアン公)とブルゴーニュ派(無怖公ジャン)の内乱がフランスを著しく弱体化させました。そこへ付け込んだのが、リチャード2世を廃して即位したランカスター朝のヘンリー5世です。彼は1415年のアジャンクールの戦いにおいて、伝説的な長弓(ロングボウ)を操る弓兵部隊の力で決定的な勝利を収めました。

トロワ条約とシャルル7世の廃嫡

北フランスは、ヘンリー5世の死後に王位を継ぐことになるヘンリー6世の摂政ベッドフォード公の支配下に置かれました。1420年にイングランドとフランスの間で調印されたトロワ条約では、フランス王シャルル6世の死後、イングランド王ヘンリー6世が「フランスとイングランドの王」となることが定められました。これにより、フランス皇太子シャルル7世は廃嫡されてしまうのです。

ジャンヌ・ダルクの登場とフランスの反攻

シャルル7世はロワール川以南のシノン城に籠っていましたが、1429年2月、一人の農村出身の少女ジャンヌ・ダルクが彼のもとを訪れます。彼女は1428年11月12日以来包囲されていたオルレアンを奪還するための軍勢を求めました。1429年5月、「乙女ジャンヌ(ジャンヌ・ラ・ピュセル)」はついに町を解放します。この勝利こそが、フランス奪回の転換点となりました。

その2か月後の1429年7月17日、シャルル7世はランスで正式に戴冠式を挙行します。1431年にはイングランド軍の手に落ちたジャンヌ・ダルクが火刑に処されましたが、フランス軍は着実に失地を回復していきました。アラスの和約によりアルマニャック派とブルゴーニュ派の抗争にも終止符が打たれます。

1445年、シャルル7世は軍制改革を実施し、同年5月26日には常備軍である「勅令中隊(コンパニー・ドルドナンス)」を創設しました。この常備軍こそが、後のフランスの勝利を支える大きな原動力となります。そして8年後の1453年、カスティヨンの戦いでの勝利によりフランスはアキテーヌを奪回し、紛争はまさに始まった地で幕を閉じたのです。

百年戦争の影響と結果

二つの国が116年間にわたり争ったこの戦争は、両国に強い国民意識(ナショナル・アイデンティティ)を育みました。それまで宮廷でフランス語を使用していたイングランド人は、以降「敵国」の言語を捨てて英語を用いるようになります。一方フランスでは、常備王立軍の創設が国王による絶対王政の誕生を予告するものとなりました。

また、戦争とペスト(黒死病)による深刻な人口減少は西欧社会に大きな変動をもたらし、その一方で国際貿易の発展を促す結果ともなりました。このように百年戦争は、中世ヨーロッパ史における最も重要な転換点の一つとして位置づけられているのです。