古代の歴史

モールクリケット19作戦:電子戦の威力でシリア防空網と空軍を崩壊させたイスラエル軍

モールクリケット19作戦:電子戦の威力でシリア防空網と空軍を崩壊させたイスラエル軍

1982年、イスラエルはレバノン領内へ侵攻し、そこでシリア軍と正面から対峙することとなった。イスラエル首脳部は、シリアの地対空ミサイル部隊こそ最大の脅威とみなし、これを無力化する決意を固めた。当時、ソ連はシリアに大量のSAM部隊を供与しており、イスラエル軍のヘリコプター1機が自軍のF-16に撃墜されたことを受け、シリアはベッカー高原一帯に数十基規模のミサイル陣地を展開していた。

背景:ゴラン高原併合とレバノン侵攻

イスラエルは当初、ミサイル陣地への直接攻撃を検討したが、ソ連の反応を警戒するアメリカの反対によって思いとどまらされていた。こうした中、1981年12月14日、イスラエルはゴラン高原を正式に併合し、国際社会から強い反発を受けた。ダマスカスはこの動きを「宣戦布告」と断じた。

そして1982年6月6日、イスラエルはシリアに対して介入しないよう警告しつつ、レバノンへ侵攻した。ところがわずか2日後、イスラエル軍の眼前にはシリア正規軍が立ちはだかった。ここに至り、ベッカー高原に展開するシリア軍防空陣地への攻撃が正式に決定された。これが後に「モールクリケット19」作戦として知られることになる大規模航空作戦である。

空を埋め尽くす96機+92機の大編隊

6月9日の正午すぎ、F-15とF-16からなる96機のイスラエル航空機が一斉に離陸した。直ちに92機からなる第二波も後続した。イスラエル機は通常兵装に加え、シリアのレーダーを標的とした電子戦ポッドを搭載していた。

イスラエル側は、シリアの戦闘機が地上レーダーによる誘導を受けて迎撃に向かうことを熟知していた。ゆえに敵レーダーを「盲目化」することが勝敗を分かつ鍵となった。作戦空域全体はE-2ホークアイ早期警戒機とボーイング707電子戦機によって常時監視され、さらに「マスティフ」「スカウト」といった無人機(UAV)も投入された。

無人機を使った巧妙な「空中の罠」

シリア側の装備はSA-2、SA-3、SA-6地対空ミサイルであり、投入された戦闘機はMiG-21、MiG-23、Su-20であった。イスラエルはまずマスティフ無人機を空域に送り込み、シリア側にレーダーを作動させた。シリアのレーダーが無人機を捕捉した瞬間、今度は別のスカウト無人機がその電波を逆探知し、座標データをE-2とボーイング707へ送信したのである。

シリアが無人機へ対空ミサイルを発射したその瞬間、F-15・F-16の第一波が掩護する中、第二波のF-4が攻撃に移った。F-4はAGM-78およびAGM-45対レーダーミサイルでシリアの防空陣地を次々と破壊していった。一方のシリアは57発ものSA-6を発射したが、ほとんど成果を挙げられなかった。

一方的な空戦 ―「ベッカー高原の七面鳥狩り」

同時に約100機のシリア戦闘機が離陸した。しかしイスラエルは電子妨害によってシリア機と地上レーダー間の通信を完全に遮断した。E-2の管制誘導を受けたイスラエル戦闘機は、適切なセンサーを持たないMiG部隊に圧倒的な不意打ちを仕掛けた。

イスラエル機はまず視界外距離からAIM-7スパローを発射し、接近後にはAIM-9サイドワインダーで追い討ちをかけた。結果はシリアにとって悲惨なもので、わずか数分のうちに数十機が撃墜された。

以後2日間の短い空戦で、シリアは少なくとも82機(諸説により86機とも)を喪失。さらに展開していた30か所のミサイル陣地のうち29か所が破壊された。16時までに制空権は完全にイスラエルの手に落ち、地上でもイスラエル軍がシリア第47装甲旅団を粉砕していた。

この圧倒的勝利は、1944年にアメリカ海軍が日本軍を打ち破った「マリアナの七面鳥狩り」にちなみ、イスラエル国内では「ベッカー高原の七面鳥狩り」と呼ばれるようになった。イスラエル側の人的損害はゼロ。失ったのは無人機1機のみで、F-15が2機損傷したにとどまった。

ソ連の虚報とモスクワの沈黙

防空支援を失ったシリアはソ連に助けを求めたが、モスクワは公式声明として「最新鋭のF-15、F-16を含むイスラエル戦闘機36機を撃墜した」と発表し、国際的な失笑を買った。ソ連の新聞までもが、イスラエル機を「撃墜」したというシリア人パイロットの「インタビュー」記事を掲載したほどである。

しかし実際には、ソ連製兵器が西側技術から大きく水をあけられたという事実が完全に露呈するにつれ、クレムリン内部には重苦しい空気が流れ込んでいたのである。モールクリケット19作戦は、電子戦と無人機を組み合わせた近代防空制圧(SEAD)の原点として、今日でも各国軍に研究され続けている。