エトルリアの沼地を越えて (217 年 3 月) 執政官がローマで神々をなだめたり軍隊を招集したりして忙しい間、ハンニバルは冬季の宿舎を出た。そして、執政官のフラミニウスはすでにアレティウムに到着していると言われているため、ハンニバルはより長くて簡単な道が示されているが、彼は当時通常よりも増水していたアルノ川よりも遠くない湿地を渡るルートをとった。彼はスペイン人、アフリカ人、退役軍人全員を自軍の先頭に立って行進させ、彼らの荷物をこれらの軍隊と混ぜ合わせ、ある時点で停止せざるを得なくなっても、必要なものが不足しないようにしている。彼はガリア人を後続させて縦隊の中央を形成させ、騎兵を後衛に配置し