歴史物語

アルバ公爵と「血の評議会」――ネーデルラントを震撼させた恐怖政治

「血の評議会」をはじめとする数々の強硬な措置により、アルバ公爵は冷酷で容赦のない支配者というイメージを確立しました。1567年、彼はスペインから北へ進軍し、ネーデルラントで燻っていた反乱の鎮圧に乗り出します。

フェリペ2世の命を受けた派遣

1566年の聖像破壊運動(ベールデンストルム)の後、スペイン王フェリペ2世は、ネーデルラントに秩序と平和を取り戻すべく、アルバ公爵を現地へ派遣しました。公爵には1万人の兵士が与えられ、状況を自らの判断で思いのままに処理できる無制限の権限が託されていました。

「血の評議会」という特別法廷

アルバ公爵はこの権限を遺憾なく行使します。到着するや否や、彼は「騒擾評議会(ラート・ファン・ベロールテン)」を設置しました。反乱者たちがこれを「血の評議会」と呼んだのには、それなりの理由がありました。これは一種の特別法廷であり、スペイン政権に反抗的な態度を取った者は、誰もがここで裁かれる危険にさらされたのです。しかも判決は決して温情あるものではなく、評議会によって処刑された人の数は約1,100人に上ると伝えられています。

興味深い逸話も残っています。評議員の一人は、判決を下すために起こされたとき以外は常に居眠りをしており、目覚めた際に下す判決はもっぱら「絞首台へ送れ!」という一言だったといいます。

最初の犠牲者たち

オラニエ公ウィレム(ウィレム・ファン・オラニエ)の同僚であったエフモント伯とホールン伯も、血の評議会の最初期の犠牲者となりました。こうした恐怖政治の結果、アルバ公爵は悪名高い人物として知られるようになり、人々は好んで彼を嘲笑の的にしました。

「4月1日、アルバは眼鏡を失った」

その嘲笑を象徴するのが、4月1日(エイプリルフール)にまつわる有名な韻文です。オラニエ公ウィレムに仕える、いわば海賊のような存在であった「水の乞食(ワーテルヘズ)」が、1572年4月1日、スペイン軍からデン・ブリール(ブリル)の町を奪還したことに由来します。オランダ語で「ブリル(bril)」は「眼鏡」を意味することから、「4月1日にアルバは眼鏡を失った」という洒落た言い回しが生まれ、今日まで語り継がれているのです。