歴史物語

セイラム魔女裁判で命を落とした19人の犠牲者とは?

1692年、マサチューセッツ湾植民地のセイラムとその周辺で起きた「セイラム魔女裁判」では、魔術の罪を着せられた人々が次々と告発され、最終的に19人が絞首刑によって命を奪われました。さらに、罪状認否を拒んだ農夫ジャイルズ・コーリーが石積みの下で圧死し、獄中で亡くなった人々を含めると、この悲劇の犠牲者は25人以上に及びます。

ここでは、セイラム魔女裁判で亡くなった19人の犠牲者を、処刑された日付ごとに紹介します。

1692年6月10日

ブリジット・ビショップ(Bridget Bishop)
セイラム魔女裁判で最初に処刑された人物。サラム・タウンで酒場を営んでいた彼女は、当時の女性らしからぬ独立した生き方や派手な服装が周囲の反感を買い、真っ先に告発の標的となりました。

1692年7月19日(5人が処刑)

サラ・グッド(Sarah Good)
貧しく路上生活同然の日々を送っていた女性。裁判以前から「魔女ではないか」との噂に悩まされており、いち早く告発されました。処刑の瞬間まで無実を主張し続けたと伝えられています。

リベカ・ナース(Rebecca Nurse)
敬虔なピューリタンとして地域社会から厚い信頼を受けていた71歳の老婦人。その人柄ゆえに有罪判決には当時から疑問の声が上がり、陪審員が一度は無罪としたものの、結局は処刑されました。

スザンナ・マーティン(Susannah Martin)
エイムズベリー在住の女性。数十年前に魔女嫌疑を受けた過去があり、1692年の騒動で再び告発されました。

エリザベス・ハウ(Elizabeth How)
アイプスウィッチ近郊の農村に暮らす女性。隣人たちとの長年の確執などから魔女の疑いをかけられ、親族関係者らによって告発されました。

サラ・ワイルズ(Sarah Wildes)
再婚をめぐる諍いなど私的な恨みが告発の背景にあったとされる女性。以前にも魔術の嫌疑をかけられた経験がありました。

1692年8月19日(5人が処刑)

ジョージ・バロウズ(George Burroughs)
セイラム・ヴィレッジの元牧師。かつての教会員たちによって魔術の罪で告発され、「魔女たちの首領」とまで呼ばれました。処刑の場で主の祈りを完璧に唱えたため、見物人の中には処刑への疑念を抱いた者もいたといいます。

ジョン・プロクター(John Proctor)
農場と酒場を営んでいた地域の名士。魔女裁判のあり方に公然と異議を唱えたため、逆に告発の対象となりました。劇作家アーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』の主人公のモデルとしても知られています。

ジョン・ウィラード(John Willard)
魔女容疑者の逮捕に関わっていた男性。告発される者たちに同情を示したことなどが原因で、自らも魔女の嫌疑をかけられました。

ジョージ・ジェイコブス・シニア(George Jacobs, Sr.)
高齢の農夫。孫娘や使用人らの証言によって告発されました。孫娘は後に証言を撤回し、無実を訴え続けたことで知られています。

マーサ・キャリア(Martha Carrier)
アンドーヴァーの農家の主婦。天然痘の流行などをめぐり近隣住民と対立していたことから告発され、尋問の記録では「地獄の女王」と呼ばれたと伝えられています。

1692年9月19日

ジャイルズ・コーリー(Giles Corey)
マーサ・コーリーの夫である農夫。罪状認否を拒み続けたため、当時の刑罰「ペイン・フォルテ・エ・デュール(強制苦痛)」として体の上に石を積み上げられる責め苦を受け、2日間に及ぶ拷問の末に圧死しました。伝えられるところによれば、最期の言葉は「さらなる重石を」だったといわれています。

1692年9月22日(7人が処刑)

マーサ・コーリー(Martha Corey)
敬虔な教会員だった女性。魔女裁判に対して懐疑的な姿勢を見せたことが仇となり、夫ジャイルズの死からわずか3日後に絞首刑に処されました。

メアリー・イースティ(Mary Eastey)
リベカ・ナースの妹。一度は釈放されたものの再び逮捕され、処刑されました。獄中で残した嘆願書は、その誠実さゆえに後世まで語り継がれています。

アリス・パーカー(Alice Parker)
セイラムの漁師の妻。使用人だった少女の証言などにより、魔女の罪で告発されました。

アン・プディエーター(Ann Pudeator)
看護や助産に携わっていた未亡人。元使用人の少女の証言などをもとに告発されました。

ウィルモット・レッド(Wilmot Redd)
マーブルヘッド在住の女性。地域の少女たちとの摩擦から告発され、セイラム魔女裁判の犠牲者となりました。

マーガレット・スコット(Margaret Scott)
ロウリーに暮らす貧しい高齢の未亡人。経済的困窮などが背景にあり、複数の人々から告発されました。

サミュエル・ウォードウェル(Samuel Wardwell)
占いを趣味としていた大工。その技術が魔術と結び付けられ、自身の妻までもが証言する形で告発されました。

その後のセイラム魔女裁判

1692年10月には総督が裁判の停止を命じ、翌1693年初頭にかけて収監されていた人々の多くが釈放されました。しかし、この一連の騒動で19人が絞首刑にされ、ジャイルズ・コーリーが圧死したほか、少なくとも5人が獄中で死亡し、多くの人々が財産を失いました。

2001年には、マサチューセッツ州が最後まで正式に名誉回復されていなかった犠牲者たちの無実を宣言し、300年にわたるこの歴史的悲劇にようやく幕が下ろされました。