
イスマイリアの街と海岸は、華やかな灯りに包まれました。淡水運河の岸辺を覆い尽くす無数のテント、そしてエジプトのパシャや名士たちの一族をこの地へ運んできたダハビーエ(ナイル川の帆船)が連なる光景は、南のアラブ村から北の副王のシャレー(別荘)まで、街の前面に沿って光の帯となって延びていました。副王のシャレー自体もまた、絢爛たる照明で飾り立てられていました。
数千人に及ぶ賓客が招かれ、副王の厚意によって各地に設けられた食卓を次々と訪れては、もてなしを受けました。エジプトがかつて見たことのないであろうアラビア風の大饗宴が広大な空間に繰り広げられ、あたりが喜びと歌声に満ちあふれるなか、朝にポートサイドを出発し、帝国ヨット「レグル(Aigle)」に続いて進んできた船団は、一隻また一隻とティムサ湖へ入港し、錨を下ろしていきました。
ティムサ湖、各国艦船が集う中央港に
18日の朝、地峡の中央港としてのティムサ湖は、エジプト、フランス、イギリス、オーストリア、ドイツ、オランダ、ロシア、スペイン、イタリア、ノルウェー、スウェーデンなど、50隻余りの艦船によって正式に開港されました。船々はみな華やかに装飾され、あるものは自国の威容を、またあるものはその富と通商の力を象徴していました。
18日のこの日は、ここに集まった要人たちが互いに胸中を語り合い、祝意を交わすための時間に充てられました。午後2時、皇后、オーストリア皇帝、プロイセン王女、そして開通式に臨んだ諸侯たちは、軍楽隊の演奏と押し寄せる群衆の歓呼の中、兵士の列にはさまれてエジプト宮廷の馬車に乗り込み、イスマイリアに新築されたばかりの宮殿へと向かいました。そこで彼らは、自らのヨット上で受けた歓迎への返礼として、ケディーブ(エジプト副王)を表敬訪問したのです。
夜になると、絢爛豪華な舞踏会が宮殿で催され、エジプトに集った尊貴なる賓客たちが再び一堂に会しました。
ビター湖へ向かう船団
「レグル」と各国の王室ヨットは、この後スエズへと旅を続けることになりました。運河の航行の容易さをさらに証明するため、小規模なフランス艦隊は美しいビター湖の水域に錨を下ろし、一夜を過ごすことが決められていました。こうして19日、午後0時30分に「レグル」はティムサ湖を出航し、セラペウムを経由して、午後4時30分にはビター湖南部の灯台付近に停泊しました。日暮れまでに、さらに15隻の船舶がその周囲に錨を下ろしたのです。