古代の歴史

ルイ・アーキナード — フランス領スーダンを征服した第三共和政の将軍

ルイ・アーキナード(Louis Archinard、1850年2月11日 ル・アーヴル生まれ – 1932年5月8日 ヴィリエ=ル=ベル没)は、フランス第三共和政の将軍であり、西アフリカにおけるフランスの植民地征服に多大な貢献を果たした人物です。彼はしばしば「フランス領スーダン(現在のマリ)の征服者にして平和の調停者」として語られています。

生い立ちと軍人への道

ルイ・アーキナード — フランス領スーダンを征服した第三共和政の将軍
アーキナードはプロテスタント(新教徒)の家庭に生まれました。父はノルマンディーの港湾都市ル・アーヴルにおいて、プロテスタント系学校の運営を担っていました。彼はパリのエコール・ポリテクニーク(理工科学校、1868年入校)で学び、1870年5月10日に海兵砲兵連隊の少尉として卒業します。

インドシナからフランス領スーダンへ

1876年から1878年にかけてはコーチシナ(現在の南ベトナム)での任務に就き、帰国後はエコール・ポリテクニークの学事監督官に任命されました。その後、ボルニス=デスボルドの要請を受けて、1880年にフランス領スーダンへ赴任します。

現地では数々の遠征を指揮し、フランスによる植民地支配の拡大を着実に推し進めました。1890年にはニジェール川流域の要衝セグーに入城し、さらに1893年には伝説的な交易都市ジェンネを攻略するなど、フランス領スーダン確立の基盤を築いたのです。

本国での栄達

フランス本土へ帰還した後、1896年4月に准将へ昇進し、少将を経てペルピニャン駐在の第32師団長に就任しました。1911年には最高戦争会議のメンバーに任命され、1914年7月にはレジオンドヌール勲章の最高位であるグラントクロワ(大十字章)を受章しています。

第一次世界大戦中の1917年には、フランス国内におけるポーランド軍の編成という重要な任務を担当しました。そして1919年、その長年の功績により軍事勲章(メダイユ・ミリテール)を授与されています。

ドゥメル大統領の訪問と、衝撃の最期

引退後はヴィリエ=ル=ベルに隠棲していたアーキナードのもとへ、1932年5月5日、当時のポール・ドゥメル大統領が自ら訪問しました。老将軍にとって大きな栄誉となる出来事でした。

しかしその翌日、悲劇が起こります。ドゥメル大統領は書籍展の会場を訪れた際、ロシアからの亡命者ポール・ゴルグロフによって拳銃で数発撃たれたのです。大統領はボージョン病院へ緊急搬送されましたが、その夜のうちに息を引き取りました。

この訃報を耳にした82歳の老将82歳の老将軍ルイ・アーキナードは、強い衝撃のあまり倒れ込み、そのままこの世を去ったといわれています。大統領との対面からわずか数日後の、あまりにも劇的な最期でした。