リーシュ(Laois)とオファリー(Offaly)におけるプランテーションは、1556年、イングランド女王メアリー1世の治世に始まりました。これはアイルランドで最初期に実施された大規模な入植計画の一つであり、後のマンスター植民やアルスター植民の先駆けとなった重要な出来事です。
プランテーションの背景
16世紀半ばのリーシュとオファリーは、オモア家(O'Moore)やオコナー家(O'Connor)といったゲール系アイルランド氏族が支配する地域でした。イングランド王政は、この地域をダブリン周辺の支配圏「ザ・ペイル(The Pale)」への脅威とみなし、これらの氏族を排除した上でイングランド人入植者を定住させる政策を推し進めました。
「キングス・カウンティ」と「クイーンズ・カウンティ」の由来
プランテーションの実施に伴い、両地域は新しい県として再編されました。オファリーはメアリー女王の夫であるスペイン王フェリペ2世にちなんで「キングス・カウンティ(King's County)」、リーシュはメアリー女王自身にちなんで「クイーンズ・カウンティ(Queen's County)」と命名されました。現在の県名であるオファリーとリーシュは、1922年のアイルランド自由国成立後に復元されたものです。
アルスター植民との混同に注意
よく混同されるのが、ジェームズ1世の時代に本格化したアルスター植民(Ulster Plantation)です。こちらは1609年頃から進められた、はるかに大規模な計画であり、リーシュとオファリーのプランテーションとは開始時期も性格も大きく異なります。リーシュとオファリーの事例はあくまで16世紀中盤、チューダー朝のもとで行われた最初期の試みだったのです。
まとめ
リーシュとオファリーのプランテーションは1556年に始まり、アイルランドにおけるイングランド式入植政策の出発点となりました。この政策はその後の植民計画へと拡大し、アイルランドの歴史と土地所有のあり方に長く影響を残すことになりました。