現在のボスニア・ヘルツェゴビナにある小さな町クルパ。しかし1565年当時、ここはハプスブルク帝国とオスマン帝国の国境に位置する要塞都市だった。オスマン側を率いていたのはスレイマン大帝――「壮麗」の名とは裏腹に、約束を平気で破る男だった……。停戦協定を破ったスレイマン大帝1564年、ハンガリーとクロアチアの王フェルディナント(ハプスブルク家)が死去すると、「誠実」を自称するスレイマン大帝は、わずか2年前の1562年にハプスブルク家と結んだばかりの停戦協定を一方的に破棄することを決めた。その口実となったのは、寵愛するトランシルヴァニア公ヤーノシュ・ザポリャイと、フェルディナントの息子で後の皇帝マク