マヌエル・パレオロゴス(のちの東ローマ皇帝マヌエル2世)が生まれたのは1350年、帝国がすでに崩壊への道を辿り始めていた時代でした。アンドロニコス2世とアンドロニコス3世の対立による二度の内戦、そして何より、父ヨハネス5世パレオロゴスとヨハネス6世カンタクゼノスのあいだで繰り広げられた内戦は、瀕死の帝国から最後の活力をも奪い去っていたのです。内戦の惨禍の中で育まれた皇子とりわけ深刻だったのが後者の内戦で、帝国軍は決定的な打撃を受け、トルコ人がヨーロッパへ渡り、セルビア勢力はフォキス地方まで南下しました。そうした中、マヌエルは偉大な学者デメトリオス・キュドネスのもとで優れた教育を受けます。高潔で