帝政王政軍(Kaiserliche und Königliche Armee、略称K.u.K.)は、1867年のオーストリア=ハンガリー妥協(アウスグライヒ)以降こう呼ばれるようになった、ハプスブルク王朝最大の支柱であった。しかし体制上のあらゆる変更がハンガリー議会の承認を必要としたため、改革の推進は容易ではなかった。ドイツ系住民がハンガリー人、チェコ人、ルーマニア人、ポーランド人、ウクライナ人、イタリア人と共存する多民族のハプスブルク帝国は、19世紀を通じて、内部で台頭するナショナリズム運動や分離独立運動に揺さぶられ続けた。そんな中で軍隊こそが諸民族の融合点であり、老皇帝フランツ・ヨーゼフ1