ペリクレスに対抗できる男が求められた紀元前449年、マラトンの戦いの英雄ミルティアデスの息子であり、艦隊司令官としてアテナイ貴族派を率いたキモンが死去しました。彼の政治的支援者たちは、紀元前461年以降ほぼ無敵の勢いでアテナイを支配してきた民衆派・民主派の指導者ペリクレスに対抗できる後継者を探さねばなりませんでした。白羽の矢が立ったのは、もう一人の貴族トゥキディデスです。彼の家系はキモンの一族と縁続きで、義兄弟であったとも伝えられます。なお、同名の著名な歴史家とは別人なので注意が必要です。彼はアテナイの城壁の外側、市の東に位置するアロペケー区(デーモス)の出身で、おそらく当地の生まれと考えられ