ブルガリアがロシアの言うことを聞かなかったとき、皇帝の「緑の男たち」が動き出した。ロシア皇帝の手先たちは、従わない君主を拉致したのだ。そしてその君主は――もちろん――ポーランドゆかりの人物だった。1878年のベルリン会議において、列強はブルガリア公国の設立を認めた。あとは適切な君主を見つけ出すだけだった。この政治的な「キャスティング」で選ばれたのが、わずか22歳のアレクサンダー・バッテンベルクである。ヘッセン公子の息子でありながら、彼はロシアとの強い結びつきを持ち、露土戦争ではロシア皇帝軍に従軍したばかりだった。さらにアレクサンダーは、母方の血筋でポーランドとも深い縁があった。母ユリア・ハウケ