世界史

アジアの歴史

  • 【小野治長】豊臣秀頼の実父は秀吉ではなくこの人物だった?

    今回は小野治長(おのはるなが)についてご紹介します。それほど有名な人物ではありませんが、興味深い噂を持つ人物です。実はこの人物、天下人・豊臣秀吉とその側室・茶々(淀殿)との間に生まれた豊臣秀頼の実の父親ではないかと言われているのです。なぜこのような噂が立ったのでしょうか。そして、小野治長とはどのような人生を歩んだ人物なのでしょうか。それでは見ていきましょう。浅井三姉妹の長女・茶々とは幼なじみ!茶々は近江国(現在の滋賀県)の戦国大名・浅井長政の長女で、浅井三姉妹の長女にあたります。母は織田信長の妹・お市の方です。彼女は後に天下人・豊臣秀吉の側室となり、二人の子をもうけることになります。1569年

  • 【原田左之助】新選組十番隊組長は坂本龍馬を暗殺した?喧嘩で切腹した破天荒な生涯

    誰もが憧れる「新選組」。その中でも今回は、十番隊組長を務めた原田左之助(はらだ さのすけ)をご紹介します。新選組結成前から局長・近藤勇や副長・土方歳三とは旧知の仲で、新選組の主要な戦いのほとんどに参加しています。ドラマや書籍、漫画など、新選組を題材にした作品には欠かせない人物です。さらに幕末の有名人・坂本龍馬の暗殺容疑者の一人として名前が挙がるなど、話題に事欠かない人物でもあります。それでは、原田左之助という人物の足跡をたどっていきましょう。新選組結成までの原田左之助1840年(天保11年)、伊予松山藩(現在の愛媛県)に生まれました。15、6歳頃には、武士に仕える奉公人である中間(ちゅうげん)

  • 【新選組の恋】十番隊組長・原田左之助と妻まさの悲しい別れ!そして「生存説」の真相は?

    新選組の隊士の中で、正式に妻をめとり家庭を築いていた人物は、実は多くありません。 「毎日の任務に追われて妻を迎える暇などない」「明日をも知れない身ゆえに、家族を持つ資格はない」——そんな潔い考えを持つ者が多かったのでしょう。 しかし妻こそ持たなかったものの、女性関係があった隊士は少なくありません。副長の土方歳三に至っては、「モテすぎて困る」と嘆く手紙を残したほどです。 そんな新選組の中で、十番隊組長を務めた原田左之助(はらだ さのすけ)は、珍しく妻を持った人物でした。相手は京の町娘・まさという女性で、二人は本当に愛し合っていたといわれます。 さらに左之助は、新選組が最後の戦いへ向かう中で、途

  • 【彰義隊】新選組を脱退した原田左之助の最期!わずか1日で終わった上野戦争!

    幕末最後の戦いともされる、旧幕府軍対新政府軍の戊辰戦争。その渦中で結成されたのが彰義隊(しょうぎたい)です。新選組十番隊組頭だった原田左之助(はらださのすけ)が、新選組脱退後に加わった部隊としても知られています。この記事では、彰義隊がどのように誕生し、旧幕府にとってどのような存在だったのか、そして上野戦争での結末までを詳しく解説します。「江戸市中取締」は名ばかり?江戸幕府15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が朝廷へ政権を返上した大政奉還(たいせいかんかん)。これで戦火は避けられたかに見えました。ところがその約2ヶ月後、薩摩藩などを中心とする新政府が王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)を

  • 【江戸城無血開城】西郷隆盛と勝海舟が100万人の命を救った!

    今回は、幕末に勃発した「新政府 対 旧幕府」の最終決戦、戊辰(ぼしん)戦争についてお話しします。 その中でも、徳川幕府の本拠地であり、旧幕府軍の総大将がいた江戸城。この江戸城開城についてご紹介します。 果たして、江戸城を無血で明け渡した旧幕府側には、どのような思いがあったのでしょうか。 江戸城を明け渡しても、戊辰戦争はその後も続いていきます。江戸城開城は、まだほんの序章にすぎませんでした。 それでは早速見ていきましょう! 戊辰戦争、ついに始まる!! 「大政奉還」の裏に隠された意味とは? 徳川幕府最後の将軍である15代徳川慶喜(よしのぶ)は、大政奉還を行い、政権を幕府から朝廷へ返上しました。

  • 【松平容保】新選組の“ボス”は若い?近藤勇より年下だった若き会津藩主の素顔

    松平容保(まつだいらかたもり)という名前をご存じだろうか。読み方は少し難しいが、一度は耳にしたことがあるはずだ。「京都守護職」と「新選組のボス」。この2つのキーワードと組み合わせれば、「ああ、あの人か!」とピンとくる方も多いのではないだろうか。実はこの人物、新選組の後ろ盾でありながら、局長の近藤勇(こんどういさみ)や副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)よりも1〜2歳年下なのである。ドラマでは若手俳優が演じることも多く、「えっ、そうなの?」と驚いた人もいるかもしれない。今回は、幕末に京都守護職として活躍した松平容保の素顔に迫ってみたい。ちなみに彼は、徳川家康(とくがわいえやす)や、水戸黄門のモデル

  • 【会津藩】徳川幕府に忠誠を誓った会津藩はこうして誕生した!

    幕末の戊辰戦争において、徳川幕府に忠誠を誓い続けた会津藩は、新政府軍に敗れ、廃藩という運命を辿ることになりました。会津戦争は「会津の悲劇」とも呼ばれ、ドラマや小説の題材としても有名です。今回は、関ヶ原の戦い以降の江戸時代における会津の歴史と、その地を治めた人々についてご紹介します。上杉家は関ヶ原の戦いで敗北!1600年、会津戦争の約270年前、天下分け目の関ヶ原の戦いが勃発し、会津を治める領主は勝敗によって大きく変わることとなりました。豊臣秀吉が亡くなると、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と詠んだ徳川家康が動き出します。当時、会津を治めていたのは120万石を領する上杉家。上杉謙信ゆかりの

  • 【実在の人物?】平家物語「扇の的」で有名な那須与一とはどんな人物?

    源平合戦の「屋島の戦い」において、休戦中に平家が余興として仕掛けたのが、あの有名な「扇の的」です。沖合いには小舟が現れ、舟には美しい女性と、竿の先に取り付けられた一枚の扇。「あの扇を射抜いてみよ!」源氏軍への挑発でした。「ここで外せば、源氏の名が折れる!」こう言い放ったのが、源氏軍の大将・源義経です。この余興には、今後の源平の戦いの行方を占うという意味もあったとされています。果たして、その結末はいかに?平家物語「扇の的」のあらすじ源義経に追い詰められた平家は、船に乗って海上へと逃れます。日も次第に暮れかけ、この日は勝負がつかないまま互いに退却しようとした、まさにその時。平家軍から一艘の小舟が現

  • 【天皇の雑学】名前に「後」が付くのはどういう意味?「徳」の字は怨みを鎮めるためだった

    日本の歴代天皇を見ていると、「後醍醐天皇」のように名前に「後」が付く天皇がいることに気づきます。有名どころでは、やはり後醍醐天皇(ごだいごてんのう)でしょう。「単純に次の天皇に『後』を足しているだけでは?」と思いたくなりますが、実はそうではありません。もし本当にそうなら、後醍醐天皇の次は「後後醍醐天皇(ごごだいごてんのう)」になってしまいます。「後」だらけで少し変ですよね。そこで今回は、誰もがふと不思議に思いながらも、そのまま通り過ぎてしまいがちな天皇の名前に付く「後」の意味について詳しく紹介します。天皇の名前は崩御後に贈られる!慣れないと不思議に感じる話ですが、天皇は在位中に「〇〇天皇!」と

  • 安徳天皇とは?1歳4ヶ月で即位し、6歳で入水した悲劇の生涯と生存伝説

    源平合戦の最後の決戦として知られる「壇ノ浦の戦い」。その戦場には、わずか6歳の幼い天皇――安徳天皇(あんとくてんのう)の姿がありました。 壇ノ浦といえば、平家一門が滅亡した場所としても有名です。 なぜ幼い安徳天皇が平家とともに戦場にいたのでしょうか。そして、その最期はどのようなものだったのか。 今回は安徳天皇の短く悲しい一生についてご紹介します。 安徳天皇の祖父は平清盛? 平家全盛の時代 平清盛(たいらのきよもり)が平家の棟梁になると、平家の勢いはとどまるところを知りませんでした。 皇室から妃を迎えて政治に深く介入し、中国(宋)との「日宋貿易」を成功させて莫大な富を手に入れます。 「平家にあ

  • 【謎の伝説】安徳天皇はヤマタノオロチの生まれ変わり?草薙剣とともに海に沈んだ真実

    ヤマタノオロチといえば、日本で最も有名な怪物のひとつですよね。ゲームやアニメの強敵としても登場し、あちこちでその名前を目にします。8つの頭と8本の尾を持つ巨大な蛇――もちろん、実在したわけではありません。一方、安徳天皇は、平家一門が滅亡した壇ノ浦(だんのうら)の戦いで、わずか6歳(数え8歳)で入水し、命を落とした第81代天皇です。一見すると、ヤマタノオロチと安徳天皇には何の接点もありません。ところが実は、「安徳天皇はヤマタノオロチが人間として転生した姿である」という、とても興味深い伝説が残っているのです。今回はその100%伝説の話をご紹介します。(もちろん、ヤマタノオロチは存在しないはずですが

  • 崇徳天皇が日本三大怨霊の一人に数えられる理由|父帝に疎まれた波乱の生涯と怨霊伝説

    第75代・崇徳天皇(すとくてんのう)は、出生の経緯が原因で、父である第74代・鳥羽天皇から疎まれていたといわれています。その理由は、鳥羽天皇の祖父にあたる白河法皇(第72代・白河天皇)の実子ではないかという噂が立っていたためです。 その後、保元の乱では弟の第77代・後白河天皇に敗れ、讃岐国(さぬきのくに)(現在の香川県)へ配流されました。 配流先でどのような晩年を過ごしたのでしょうか。また、なぜ崇徳天皇は「日本三大怨霊」の一人として語り継がれることになったのでしょうか。 崇徳天皇の複雑な生い立ち 崇徳天皇は、正式には第74代・鳥羽天皇の第一皇子です。 ところが、鳥羽天皇の后であった藤原璋子(

  • 【彦根城】明治の廃城令や第二次世界大戦の危機を乗り越えた井伊家の居城!

    2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』は、井伊家の衰退からの復活を描いた物語でした。 その井伊家が後に居城とするのが「彦根城」です。今回は彦根城の歴史と見どころをご紹介します。 彦根城はいつ築かれ、どのようにして数々の危機を乗り越えてきたのでしょうか。さっそく見ていきましょう。 ちなみに、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の時代には、彦根城はまだ存在していません。 直虎の養子・直政による築城計画 戦国時代の井伊家 戦国時代の井伊家は今川氏の傘下に置かれ、家督を継いだ男子はことごとく戦や家臣の裏切りによって命を落としてしまいます。 最後に残った「井伊直虎」は、井伊家を守るため、女性でありながら

  • 【生類憐みの令】本当に悪政だったのか?命の価値観を変えた徳川綱吉の政策

    「生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)」という言葉は、歴史の授業で一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。江戸幕府の将軍が突然、「犬を大切にせよ!」「生き物を大事にしろ!」と命じた法律――そんなイメージを持っている人も多いはずです。そのため民衆は大混乱。「どういうことだ!?」と右往左往……。そしてこの政策は「悪政」の代名詞となり、発令者である江戸幕府5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)は、「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれて「愚か者」扱いされてきました。しかし近年、綱吉への評価を見直す動きが出てきています。果たして彼は、何も考えていないだけの殿様だったのでしょうか?「生類憐みの令」は

  • 【参勤交代】大名には厳しい制度!しかし、人々にとっては素晴らしいことなのでしょうか?

    「参勤交代(さんきんこうたい)」という言葉を、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。 最近では映画の題材にもなり、少しブームになっているようです。 実は、参勤交代はとても興味深い制度なのです。 250年以上も続いた江戸時代の太平。その陰で行われていた大名行列は、庶民に大人気のイベントでした。 しかし一方で、各地の大名たちの苦労は並大抵のものではありません。半年以上もの準備期間を要し、膨大な費用がかかったからです。 ここでは、そんな「参勤交代」について詳しくご紹介していきます。 参勤交代の歴史 その原型は、1192年に鎌倉幕府が開かれた時代からすでに存在し、家臣が将軍に対して礼を尽くすという

  • 【徳川御三家】徳川将軍家の後継者問題のために作られた家!

    テレビの時代劇や歴史番組を見ていると、「徳川御三家」という言葉を耳にする機会は多いのではないでしょうか。しかし、名前は知っていても、「具体的にどんな家なのか」と問われると、意外と答えられない方も多いはずです。御三家はいつ誕生し、何のために作られたのでしょうか。今回は「徳川御三家」について詳しくご紹介します。あわせて、よく似た存在である「徳川御三卿(ごさんきょう)」にも触れていきましょう。徳川御三家を作ったのは誰?その目的とは?1603年、徳川家康が江戸幕府を開きます。そして間もなく、三男・秀忠に第2代将軍の座を継がせました。これは「この世はもう豊臣のものではなく、徳川の天下だ」ということを、内

  • 【平家にあらずんば人にあらず】この言葉を放ったのは平清盛ではなく、義弟・平時忠だった!

    平家と源氏、永遠のライバル関係 平氏と源氏の対立は、日本史の中でも特に有名なテーマです。まるで永遠のライバルのように語り継がれていますね。 そして源氏を打ち破り、平家の全盛期を築き上げたのが平清盛です。 その時代に生まれた言葉こそ、あまりにも有名な「平家にあらずんば人にあらず」です。 この言葉の通りなら、平家の栄華と驕りが同時に表現されているとも言えるでしょう。 本記事では、この言葉の意味と、それが生まれた背景をご紹介します。実は、この言葉を口にしたのが平家の棟梁・平清盛ではなかったことは、あまり知られていません。 「平家にあらずんば人にあらず」はどんな時代の言葉? 1153年、平清盛は平

  • 【天皇に関する疑問】天皇・上皇・法皇の違いをわかりやすく解説!

    歴史書を読み返していると、「◯◯上皇」「◯◯法皇」といった名前が次々と登場し、「え、これって同じ人?」と混乱したことはありませんか?そこで今回は、天皇・上皇・法皇の違いについて、わかりやすく紹介します。天皇のご先祖様は神様!?現在の天皇は第125代にあたり、その歴史は非常に長いものです。初代天皇は紀元前660年に即位した神武天皇(じんむてんのう)とされ、この日が現在の暦で2月11日、すなわち「建国記念の日」にあたります。天皇の系譜は『古事記』や『日本書紀』が主な資料とされており、さらにさかのぼると、太陽を神格化した天照大神(あまてらすおおみかみ)がご先祖とされています。ご先祖様が神様とは、なん

  • 【屋島の戦い】源義経の奇襲作戦と那須与一「扇の的」の名場面!

    源平合戦の中でも屈指の知名度を誇る「屋島の戦い」。馬で急斜面を駆け下りる奇襲作戦を成功させた「一ノ谷の戦い」から、ちょうど1年後に開催された合戦です。屋島の戦いといえば、平氏が源氏に対して「船に掲げた扇を射抜いてみよ!」という無理難題をふっかけた場面があまりにも有名ですね。今回は屋島の戦いについて、「扇の的」以外に何があったのかも含めて詳しく紹介していきます。それではどうぞ。嵐を衝いて渡海する義経の奇策!1184年、一ノ谷の戦いで源範頼・義経兄弟に敗れた平氏は、屋島(香川県高松市)へ逃れました。一ノ谷の戦いの後、範頼は鎌倉へ帰還し、義経は京都の治安維持のため帰京することになります。後白河法皇の

  • 【土方歳三】盟友・近藤勇の死と新選組の最期はどうなったのか?

    農民でありながら「侍」になることを夢見た近藤勇と、その夢を共に追いかけて上京し新選組を結成した土方歳三。ついに侍になるという夢を叶えたふたり。その後、彼らはどのような人生を歩んだのでしょうか。新選組の敗北近藤さんと土方さんは、将軍に直属する武士として召し抱えられる「幕臣(ばくしん)」となります。しかしわずか4か月後、将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は将軍職を辞し、「大政奉還(たいせいほうかん)」を行いました。大政奉還とは、鎌倉幕府の時代以来続いてきた幕府による統治を天皇へ返上すること。事実上、幕府が消滅したことを意味します。こうして新選組は「旧幕府軍」として、薩摩・長州を中心とする「新政府軍

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