世界史

ヨーロッパの歴史

  • 呪われた城スードリー城――歴代の城主を襲った悲劇の歴史

    創建当時のスードリー城の遺構(写真:筆者所蔵)イングランド・コッツウォルズ地方の美しい村ウィンチカム(Winchcombe)を抜け、田園風景の続く小道を500メートルほど歩くと、優雅な姿のスードリー城(Sudeley Castle)が現れます。しかしその美しい外観からは、歴代の城主たちが味わってきた数々の不幸な運命を想像することは難しいでしょう。建設者ラルフ・バトラーの不運スードリー城は、1443年に王室財務長官に任じられたラルフ・バトラー(Ralph Boteler)によって15世紀に建てられました。ところが、15世紀半ばのイングランドは決して安泰な時代ではありませんでした。特に「薔薇戦争」

  • フォルカークの戦い:エドワード1世が破ったスターリング橋の英雄ウィリアム・ウォレスと「ロバート・ブルース裏切り」神話

    1297年、スターリング橋の戦いでイングランド軍を撃破したウィリアム・ウォレスは、無名の下級貴族から一躍スコットランドの守護者へと躍り出ました。しかし、その栄光は長くは続きませんでした。本稿では、1298年のフォルカークの戦いにおけるウォレスの敗北、そして「ロバート・ブルースの裏切り」として語られてきた神話の真相に迫ります。スターリング橋の勝利とウォレスの台頭ウィリアム・ウォレスは、もともとほとんど無名のスコットランドの小貴族でした。ところが1297年、スターリング橋の戦いでイングランド軍を破ると一躍時の人となり、スコットランド守護官(ワーデン)に任命されます。スターリング橋での勝利の後、ウォ

  • リチャード3世の遺骨発見——500年の時を経て駐車場の下から現れた、最後のプランタジネット王

    ※本記事は書籍『プランタジネット王朝』の内容をもとに再構成しています。 数か月前、イングランド王リチャード3世の遺体がレスターに埋葬されました。1485年に亡くなった王の遺骨が、なぜ2015年になってようやく埋葬されることになったのか。そこには、500年の時を超える壮大な歴史ミステリーが隠されていたのです。2012年、レスター大学の考古学者リチャード・バックリー率いる研究チームは、世界を驚かせるニュースを発表しました。なんと、市内の駐車場の下からリチャード3世の遺骨が見つかったというのです。 プランタジネット朝最後の王、その波乱の生涯 リチャード3世は、イングランドに300年以上君臨したプラン

  • プランタジネット朝の「黒い羊」――欠地王ジョンの実像

    文学や映画とは違う、真のイングランド王ロビン・フッドなどの物語で悪役として描かれることの多い欠地王ジョン(ジョン・ラックランド)ですが、実は歴史上の彼は、兄リチャード獅子心王よりもはるかに重要なイングランド王でした。ジョンは兄より長く在位し、イングランドの国政により深く関与しただけでなく、その後約300年間にわたるイングランド王はすべてジョンの子孫だったのです(獅子心王には嫡出の子がいませんでした)。イングランドにほとんど滞在しなかった獅子心王リチャード1世は、まさに中世国王の典型ともいうべき人物でした。プランタジネット家のフランス領をめぐる戦いで名声を博し、聖地でも幾多の勝利を収めましたが、

  • 1362年、イングランドでフランス語が法廷言語の座を退くまで――約300年続いた異例の歴史

    ※本記事は『The Plantagenets(プランタジネット朝)』からの記述に基づいています。 自国の裁判なのに、言葉が通じなかった 一見すると信じがたい話ですが、およそ300年もの間、イングランドで裁判に立ち会った人々は、裁判官も弁護士も自分たちの母語である英語を話さないという光景を目にしていました。彼らが法廷で用いていたのは、征服者がもたらしたフランス語だったのです。 なぜフランス語が法庭を支配したのか この慣行の起源は1066年にさかのぼります。ウィリアム征服王率いるノルマン人の侵攻により、ノルマン人がイングランドの支配者となったのです。当時のイングランドでは、官職のほとんどがフ

  • カンタベリー大司教トマス・ベケット暗殺事件――王権と教会の対立が生んだ悲劇

    1170年12月29日、カンタベリー大聖堂での惨劇1170年12月29日、4人のイングランド騎士がカンタベリー大聖堂に押し入り、カンタベリー大司教トマス・ベケットを冷血にも殺害しました。本記事では、歴史の転換点となったこの事件の原因と結果を分析します。プランタジネット朝の始まりと王権と教会の対立1154年、初代プランタジネット朝の君主ヘンリー2世がイングランドの王位に就きました。当時のヨーロッパの君主すべてに共通していたことですが、ヘンリー2世が直面した最大の障害の一つは、カトリック教会との関係でした。国王とその後継者の戴冠、王室の婚姻の無効化、司教が管区を離れてローマへ赴く権利、そして何より

  • イングランド1330年:エドワード3世とノッティンガム城襲撃――秘密の地下道から始まった親政

    ロビン・フッドの伝説を超えた「実話」ノッティンガム城といえば、ロビン・フッドとノッティンガム保安官にまつわる数々の逸話で知られています。これらの物語は今なお人々を魅了する面白いフィクションですが、あくまで架空の話です。しかし、ロビン・フッドの伝説からおよそ2世紀後、この城で実際に起きた出来事は、伝説の弓の名手の冒険譚にも引けを取らず、『ゲーム・オブ・スローンズ』のストーリーにも匹敵するほど劇的なものでした。弱き王エドワード2世と権力を握ったモーティマー1327年、イングランドの王座にあったのはエドワード2世です。彼は統治に優れない王で、政務をお気に入りのピアース・ギャヴェストンやヒュー・デスペ

  • リチャード・ネヴィル「キングメーカー」―薔薇戦争を動かした男

    本記事は『ザ・プランタジネット』(The Plantagenets)からの抜粋に基づいています。薔薇戦争とは何か「薔薇戦争」とは、1455年から1485年にかけてイングランドで起こった王朝間の内乱です。プランタジネット朝の分家であるヨーク家とランカスター家が王位をめぐって対立しました。「薔薇戦争」という名称は、両家の紋章に由来しています。ヨーク家の象徴が白バラ、ランカスター家の象徴が赤バラでした。この争乱の中心人物の一人こそ、リチャード・ネヴィル(ウォリック伯)です。彼は「キングメーカー(王を戴冠させる男)」という異名で歴史に名を刻みました。王の病と摂政問題1453年、ランカスター家のイングラ

  • イングランド王エドワード1世 対 ウェールズ公ルウェリン――ウェールズ征服をめぐる攻防

    本稿は『The Plantagenets』からの抜粋をもとに構成しています。ウェールズ征服、イングランド王たちの長年の悲願ウェールズの征服は、イングランド王たちにとって古くからの悲願でした。しかし、険しい山地という地形上の困難に加え、ウェールズ人が野戦での決戦を徹底的に避けてゲリラ戦術を駆使したため、イングランドの征服の試みはことごとく阻まれてきました。その侵攻の一つが1257年、イングランド王ヘンリー3世によって実行されたものでしたが、これは完全な失敗に終わりました。グウィネズのルウェリンに率いられたウェールズ軍はイングランドの攻撃を撃退しただけでなく、その後数年にわたりヘンリー3世の内政的

  • エドワード1世とアーサー王伝説――ウェールズ支配をめざした象徴的な政治演出

    本記事は、書籍『プランタジネット朝(The Plantagenets)』からの抜粋をもとに構成しています。 ウェストミンスターでの臣従の儀から 前回の記事「イングランド王エドワード1世 対 ウェールズ公ルウェリン」では、1277年のクリスマスにウェストミンスターにおいて、ルウェリンがエドワード1世の前にひざまずき、臣従の礼を捧げる場面までを取り上げました。それ以降、大きく所領を削られたルウェリンとその弟ダフィッドの領地と、イングランド勢がウェールズ領内で勝ち取った征服地とのあいだに、不安定な均衡が数年間続くことになります。 しかしエドワード1世は、ウェールズに課した枷(かせ)を緩める考えなど

  • 「プリンス・オブ・ウェールズ」の由来――エドワード1世によるウェールズ征服と王位継承者の称号

    本記事は、書籍『The Plantagenets(プランタジネット朝)』からの抜粋である。1282年、ウェールズ全土で同時多発した反乱イングランドによるウェールズ征服をめぐる連載の最終回にあたる本記事では、1282年3月にイングランド支配下の地域で発生した新たなウェールズ反乱を取り上げる。この反乱は複数の地域で同時に起こっており、計画的で組織的な動きであったことをうかがわせる。ところが、その指導者は当時のウェールズ公(プリンス・オブ・ウェールズ)リウェリンではなく、彼の弟ダフィッドであった。実際、リウェリンは反乱の発生を当初知らず、支援を決断するまでに時間を要したという。反乱の背景――コンヴェ

  • オワイン・グリンドゥール――ウェールズ最後の反逆者

    本記事は書籍『ザ・プランタジネッツ(The Plantagenets)』からの抜粋に基づく。 イングランド支配下のウェールズ、最後の抵抗 イングランドによるウェールズ征服をめぐる連載の前回記事では、「プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)」という称号が、イングランド王位継承者の称号として定着した経緯を取り上げた。ウェールズがイングランド王室へ併合されてから数年後、ウェールズ人は再び独立を取り戻さんと、最後の反乱を起こす。その指導者こそ、本記事の主人公オワイン・グリンドゥール(Owain Glyndŵr)である。彼は一時的にせよ「ウェールズ公」の称号を自らの手で取り戻した人物だった。 土地紛

  • 10歳の少年王の試練:イングランド王リチャード2世と1381年の「農民一揆」

    本記事は、ダン・ジョーンズ著『プランタジネット朝』の内容をもとに構成しています。10歳の国王と不安定な政局1377年、祖父エドワード3世の死により、わずか10歳のリチャード2世がイングランド王位を継承しました。本来なら父である「黒太子」エドワードが王位を継ぐはずでしたが、彼は祖父に先立って亡くなっていたためです。少年王の立場はきわめて不安定なものでした。幼年期の摂政体制をめぐって、宮廷内の各派閥——とりわけ王の叔父ジョン・オブ・ゴーント率いる勢力——が権力闘争を繰り広げる一方、国内では深刻な経済状況に対する民衆の不満が日増しに高まっていました。本稿で取り上げるのは、この後者の側面です。黒死病が

  • ルイスの戦い(1264年):イギリス議会制民主主義の起源となった戦いか?

    ※本記事は書籍『The Plantagenets』からの抜粋に基づいています。 2014年5月14日、イングランドではルイスの戦い(1264年)の750周年が記念されました。この戦いは、現在のイギリス議会制民主主義の直接的な先駆けとなる歴史的転換点として、多くの人々に認識されています。この戦いの重要性とその歴史的帰結を理解するには、さらに数年前の時代にまでさかのぼる必要があります。 ジョン王とマグナ・カルタ 1199年、イングランド王リチャード1世、通称「獅子心王」が死去し、弟のジョン1世――「欠地王(ラックランド)」として知られる人物――が王位を継承しました。一般に信じられているイメージ

  • イングランド王ヘンリー1世の複雑な王位継承問題とプランタジネット朝誕生の物語

    1066年のノルマン・コンクエストは、イギリスの歴史における決定的な転換点となりました。しかし、ノルマン人がイングランド王位に就いた後も、王朝の運命を大きく左右する出来事が続きます。その鍵を握っていたのが、本稿の主人公である「皇后マティルダ」です。 後継者の急死――「白い船」の遭難 時を少し遡りましょう。初代ノルマン系イングランド王ウィリアム1世(征服王)の後を継いだのは、まずウィリアム2世、続いてヘンリー1世です。ヘンリー1世にはウィリアムとマティルダという二人の子どもがおり、息子ウィリアムさえ無事であれば、王位継承は安泰に見えていました。 ところが、予期せぬ悲劇が王国の計画を根底から覆し

  • エドゥアルド1世「ロングシャンクス」、十字軍の失敗で命を落としかけた波乱の遠征

    本稿は書籍『ザ・プランタジネット(The Plantagenets)』より抜粋・再構成したものです。「スコットランド人の鉄槌」と呼ばれた王イングランド史上、最も恐るべき国王の一人として数えられるエドゥアルド1世。父ヘンリー3世の治世下では王太子としてシモン・ド・モンフォールの反乱(ルイスの戦いなど)に立ち向かい、即位後はスコットランド遠征でその名を馳せました。映画『ブレイブハート』ではウィリアム・ウォレスと戦うイングランド王として描かれ、棺に刻まれた銘「スコットランド人の鉄槌(ハンマー・オブ・ザ・スコッツ)」とともに、近年その武勇が広く知られるようになりました。王太子時代の締めくくり ― イー

  • リチャード3世とボズワースの戦い(1485年)――プランタジネット朝最後の突撃

    本記事は、書籍『The Plantagenets(プランタジネット朝)』の内容に基づいています。イングランド史の大転換点となった一日1485年8月22日、イングランドの歴史において最も決定的な戦いの一つが繰り広げられました。リチャード3世率いる王軍とヘンリー・テューダー率いる軍勢が衝突したこの戦いで、リチャード3世は敗北し命を落とします。この結果、300年以上にわたってイングランド王位を占めてきたプランタジネット朝の支配は終焉を迎え、後にヘンリー8世やエリザベス1世といった名君を輩出することになるテューダー朝の時代が幕を開けたのです。シェイクスピアが描いた「悪役」リチャード3世この戦いで最も広

  • 百年戦争の起源――サリカ法、王位継承、そしてアキテーヌ問題

    本稿は、Dan Jones著『The Plantagenets』の内容をもとに構成したものである。 百年戦争とはどんな戦争だったのか 14世紀から15世紀にかけて、フランスとイングランドが実に116年間(1337〜1453年)にわたって対立した戦争は、「百年戦争」として知られている。クレシーの戦い、ポワティエの戦い、アジャンクールの戦いといった著名な会戦に加え、ヘンリー5世、「黒太子」ことエドワード、そしてイングランド長弓兵たちといった個性豊かな登場人物たちは、シェイクスピアの時代以来、数多くの文学作品や映画の題材となってきた。 しかし本稿の目的は、この戦争で起きた出来事をなぞることではな

  • ヨークのエリザベス――プランタジネット朝とチューダー朝を繋いだヘンリー8世の母

    15世紀のイングランドでは、「薔薇戦争」と呼ばれる内戦がヨーク家とランカスター家の間で繰り広げられていました。1471年のテュークスベリーの戦いの後、ヨーク家は宿敵を打ち破り、王位請求者エドワード4世のもとに王冠をもたらすことに成功します。エドワード4世は未亡人だったエリザベス・ウッドヴィルと結婚し、10人の子どもをもうけました。その中には王位継承者エドワード、弟のリチャード、そして本記事の主人公となるエリザベスが含まれていました。これで継承順位は確定し、王冠をめぐる争いもようやく収束したかに見えました。エドワード4世の死と「塔の王子たち」の謎しかし、1483年のエドワード4世の死は、イングラ

  • ロビン・フッドの先駆者となった英雄「ヘリワード・ザ・ウェイク」の実像

    本記事の内容は『プランタジネット家』(The Plantagenets) の書籍からの引用をもとにしています。ロビン・フッド伝説の背景にある対立シャーウッドの森を拠点に、サクソン人の弓使いたちが欠地王ジョンやノッティンガム州長官のノルマン支配勢力に抵抗したというロビン・フッドの物語は、文学や映画で繰り返し取り上げられ、誰もがよく知るところです。ウォルター・スコットの小説『アイヴァンホー』の背景にも、12世紀後期イングランドにおけるサクソン人とノルマン人の争いが描かれています。しかし、あまり知られていないのが、ロビン・フッド伝説や『アイヴァンホー』の物語より1世紀以上も前から、他のサクソン人たち

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