世界史

南アメリカの歴史

  • ラヴァ・ジャート(洗浄作戦)とは?ペトロブラスを舞台としたブラジル最大級の汚職事件を徹底解説

    「洗浄作戦(ラヴァ・ジャート/Operação Lava Jato)」は、ブラジルの国営石油会社ペトロブラスを舞台に、企業経営者と政治家の間で繰り広げられた汚職スキームを解明することを目的とした大規模な司法捜査です。 捜査の端緒は2008年に遡り、2017年3月の時点ですでに67人が有罪判決を受けています。 そのうちの一人がミシェウ・テメル元大統領です。2019年3月21日、側近だったモレイラ・フランコ元閣僚への賄賂仲介の容疑で逮捕されました。 ラヴァ・ジャートはどのように始まったのか 実は、ラヴァ・ジャートはごく偶然のきっかけから始まりました。 発端となったのは、実業家エルメス・マグヌスが

  • 植民地協定(コロニアル・パクト)とは?ブラジル植民地時代の独占貿易体制を解説

    植民地協定は、「宗主国商業排他主義」あるいは「植民地排他主義」とも呼ばれ、植民地と宗主国(本国)との間で結ばれた協定を指します。ブラジルでは、植民地時代を通じてこの制度が敷かれていました。この商業関係は、大航海時代(16世紀〜17世紀)の征服期にアメリカ大陸の広範な地域で展開されたもので、その目的は宗主国により多くの利益をもたらすことにありました。主な狙いは、新大陸で発見された資源(木材、貴金属など)を搾取し、富の源泉として活用することでした。重商主義との関係重商主義は、植民地時代における宗主国の経済発展を支えた極めて重要な経済実践の体系でした。すなわち、宗主国が植民地に対して商業活動や製造業

  • エウリコ・ガスパール・ドゥトラ:ブラジル第14代大統領の生涯と政治

    エウリコ・ガスパール・ドゥトラ(Eurico Gaspar Dutra)は、ブラジルの第14代大統領です。1946年から1951年まで国を統治しました。彼が大統領に就任するきっかけとなったのは、軍事クーデターによってジェトゥリオ・ヴァルガス大統領が失脚した出来事でした。 その政権は、共産主義者への弾圧、賭博の禁止、そしてアメリカ合衆国との関係強化を特徴としていました。 エウリコ・ガスパール・ドゥトラ、ブラジル第14代大統領 ドゥトラ政権の特徴 1946年憲法の制定 国内政策において、ドゥトラ政権の最大の功績の一つは新憲法の公布です。この1946年憲法は、ジェトゥリオ・ヴァルガスが1937年に定

  • ガラファーダスの夜(瓶の夜)とは?ペドロ1世退位につながった1831年の反乱

    ガラファーダスの夜(瓶の夜)とは「ガラファーダスの夜(Noite das Garrafadas/瓶の夜)」は、1831年にリオデジャネイロで発生した反乱であり、ブラジル帝国時代(1822年~1889年)における重要な政治的対立の一つです。一方には皇帝ペドロ1世を支持する集団、主としてポルトガル人がおり、他方には政治・行政・報道におけるより大きな自由を求めるブラジル人自由主義派(リベラル)が立ち塞がりました。反乱の背景と原因皇帝の専制的な統治、検な統治、検閲制度、憲法制定議会の解散、1824年憲法への不満、そして国内政治・行政におけるポルトガル系勢力の影響力といった要因に加え、対立を一気に表面化

  • デオドロ・ダ・フォンセカとは?ブラジル初代大統領の生涯と功績

    デオドロ・ダ・フォンセカの概要デオドロ・ダ・フォンセカ(Manuel Deodoro da Fonseca)は、ブラジルの軍人・政治家であり、1889年の共和主義クーデター(共和国宣言)への参加を通じて、同国初代大統領に就任しました。これによりブラジルは新しい政治体制へと移行し、「共和制ブラジル」の時代が幕を開けました。共和国宣言後、元帥デオドロは国民制憲議会を設立し、そこでブラジル最初の共和制憲法が起草されました。経歴マヌエル・デオドロ・ダ・フォンセカは、1827年8月5日、ブラジル北東部アラゴアス州のヴィラ・マダレーナ・デ・サマウナで生まれました。父はマヌエル・メンデス・ダ・フォンセカ(1

  • シンクレティズム(宗教習合)とは?アフリカ系ブラジル宗教とカトリックの融合

    シンクレティズム(習合)とはシンクレティズム(宗教習合)とは、さまざまな宗教や思想が結びつき、新たな形態を生み出す現象を指します。現在、最も目に見える形で現れているのは宗教分野における習合ですが、社会科学や人文科学のさまざまな領域においても、思想的なシンクレティズムが見られます。宗教におけるシンクレティズム宗教の世界では、ある一つの信仰の中に、複数の宗教からの影響や要素を読み取ることができます。たとえばカトリック教会はユダヤ教を母体として生まれ、復活祭(イースター)をはじめとする多くのユダヤ教の祝祭日を採り入れました。これらの祝祭は、キリスト教徒の手によって新たな意味を与えられることになりまし

  • フェルナンド・コロールの生涯と弾劾 ― ブラジル初の直接選挙で選ばれた大統領

    フェルナンド・コロール(Fernando Collor)は、ブラジルのジャーナリスト兼政治家で、1990年から1992年にかけてブラジル連邦共和国の第32代大統領を務めた人物です。2007年にはアラゴアス州選出の上院議員に当選し、2014年には同じ職位で再選を果たしています。コロールの略歴フェルナンド・アフォンソ・コロール・デ・メロは、1949年8月12日、リオデジャネイロにて、政治家アルノン・アフォンソ・デ・ファリアス・メロとレダ・コロールの息子として誕生しました。リオデジャネイロで教育を受けた後、アラゴアス連邦大学で経済科学の学位を取得し、さらにブラジリア大学でも経済学を専攻しました。また

  • ペルナンブコ革命とは?1817年ブラジルの共和主義反乱の背景と影響

    1817年、ブラジル北東部のペルナンブコ州で勃発したペルナンブコ革命は、ポルトガルからの独立と共和制の樹立を目指した解放運動であり、ブラジル史上最も重要な革命の一つに数えられます。多くの聖職者が参加したことから「父たちの革命」とも呼ばれています。 歴史的背景 ナポレオン・ボナパルトが発令した大陸封鎖令により、イギリスとの貿易を断たれたポルトガル王室は、1808年にブラジルへ遷都しました。この移転に伴い、ブラジルでは工場や各種施設が建設されるなど、経済面である程度の発展が見られました。 しかし一方で、次のような要因がブラジル人たちの不満を次第に募らせていきました。 増税政策の実施 宮廷による

  • フロリアノ・ペイショト――「鉄の元帥」と呼ばれたブラジル第2代大統領

    フロリアノ・ペイショト(Floriano Peixoto)は、「鉄の元帥(マレシャル・デ・フェロ)」の異名で知られる軍人であり、ブラジル共和国の第2代大統領として、共和制の確立に大きな役割を果たした人物です。 彼はデオドロ・ダ・フォンセカとともに、初代と第2代の大統領がいずれも軍人であったことから「剣の共和国(República da Espada)」と呼ばれる時期(1889年〜1894年)に属します。 フロリアノ・ペイショトはブラジルの第2代大統領でした。 生涯 フロリアノ・ヴィエイラ・ペイショトは、1839年4月30日、アラゴアス州マセイオのイピオカ村に生まれました。質素な家庭の出であり、

  • アフリカ周航(アフリカン・ペリプラス)とは?15世紀ポルトガルの大航海とアフリカ沿岸探検の全貌

    アフリカ周航(アフリカン・ペリプラス)とは、15世紀にポルトガル人が実施した一連の航海の総称です。当初は地中海沿いに、そして何よりもアフリカ大陸の沿岸に沿って進められました。 その目的は、インドへ至る新たな航路を開拓し、ジェノヴァやヴェネツィアを経由せずに東方の商品を直接入手できるようにすることにありました。 アフリカ航海への序章 ポルトガルの航海術は、エンリケ航海王子(ドン・エンリケ、1394年〜1460年)の後援によって大きな推進力を得ました。彼はサグレスの「航海学校」を支援し、数多くの探検隊にも資金を提供しました。 アフリカ航路の開拓に携わった主なポルトガルの航海者には、バルトロメウ・デ

  • エンシリャメントとは?ブラジル旧共和政期の経済政策とバブル崩壊の歴史

    エンシリャメント(Encilhamento)は、外交官であり作家でもあったルイ・バルボーザ(Rui Barbosa)が、ブラジルの「旧共和政(República Velha)」と呼ばれる時代に実施した経済政策です。政界で著名な人物であったルイ・バルボーザは、共和国初代大統領デオドロ・ダ・フォンセーカ元帥の暫定政府(1889年〜1891年)において財務大臣を務め、国の経済を活性化させる新たな施策を提唱しました。しかしこの政策は巨大な「経済バブル」を生み出し、ブラジル史上最も深刻な経済・金融危機の一つとなったのです。エンシリャメント政策の背景1889年11月15日、デオドロ・ダ・フォンセーカ元帥に

  • ブラジル「黒人啓発デー」の由来とは?11月20日に制定された経緯を解説

    ブラジルの黒人啓発デー(Dia da Consciência Negra、11月20日)は、1971年にリオグランデ・ド・スウ州ポルトアレグレで設立された団体「グルーポ・パルマレース(Grupo Palmares)」の第一回会合で提唱されたことが始まりです。この記念日は2003年から学校の暦に組み込まれ、2011年にはブラジル全国で正式に制定されました。11月20日という日付は、黒人の指導者ズンビ・ドス・パルマレース(Zumbi dos Palmares)が亡くなった日にちなんでいます。国民的記念日「黒人意識デー」の起源1971年、ポルトアレグレで黒人大学生たちが集まり、「グルーポ・パルマレー

  • ブラジル国旗賛歌(Hino à Bandeira)とは?歴史と歌詞の意味をわかりやすく解説

    ブラジルの国旗賛歌は、詩人オラーヴォ・ビラック(Olavo Bilac、1865年~1918年)が作詞し、指揮者であり作曲家のフランシスコ・ブラガ(Francisco Braga、1868年~1945年)が作曲した楽曲です。この賛歌は、当時のリオデジャネイロ市長フランシスコ・ペレイラ・パッソス(Francisco Pereira Passos、1836年~1913年)の依頼によって制作され、1906年11月にリオデジャネイロで初めて披露されました。国旗賛歌は、ブラジルを代表する国の歌の一つです。国歌のほか、独立賛歌、共和国宣言賛歌とともに、ブラジル国民に親しまれています。国旗賛歌の歌詞(日本語

  • クルザード計画とは?1986年ブラジルの経済安定化計画(PEE)の内容と失敗の教訓

    クルザード計画(プラーノ・クルザード)とは「経済安定化計画(PEE)」の通称で知られるクルザード計画は、1986年にジョゼ・サルネイ政権下で打ち出されたブラジルの経済政策です。当時の財務大臣ディルソン・フナロを中心に、経済学者のジョアン・サヤド、エドマール・バシャ、アンドレ・ラーラ・レゼンデ、ペルシオ・アリダらによって設計され、猛烈なインフレーションを食い止めることが最大の目的でした。計画は1986年2月27日付の法律第2,283号に基づいて正式に制度化され、「インフレ・ゼロ」のスローガンのもと同年2月28日に発効しました。実施期間は1989年1月16日まで続き、その後は新通貨「クルザード・ノ

  • タウバテ協定とは?1906年ブラジルのコーヒー価格維持政策を解説

    タウバテ協定は、1906年2月にブラジルで実施された、コーヒー生産に対する国家的介入計画です。ロドリゲス・アウヴェス政権下で締結されたこの協定の目的は、コーヒー価格の上昇を促し、コーヒー農園主の利益を確保することにありました。 コーヒー危機の背景 19世紀後半、コーヒーはブラジル最大の輸出品であり、世界の総生産量の約70%がブラジルのコーヒー農園から供給されていました。 国際市場での高価格を背景に、サンパウロ州の大地ではコーヒー栽培が急拡大しました。 ところが19世紀末になると、消費市場、特に海外市場が同じペースでは成長せず、危機の兆候が現れ始めます。 その結果、コーヒー価格は驚異的な勢いで暴

  • セスマリアスとは?ポルトガルとブラジルの土地付与制度の歴史

    セスマリアス(土地分割制度)とはセスマリアス(Sesmarias)は、ポルトガル王国が放棄された土地を開墾・占有のために民間へ下賜した制度です。当初はポルトガル本土で実施され、その後植民地ブラジルにも導入され、1530年から1822年まで約300年間にわたって続けられました。この制度は12世紀以来、共有地や共同体の土地に対して用いられてきました。「セスマリア」という名称は、「分割する」を意味するポルトガル語の「セスマル(sesmar)」に由来します。この制度では、共同体で耕作される土地を住民の数に応じて分割し、くじ引きなどで割り当てていました。その目的は土地の耕作を確実にすることであり、各土地

  • ホセ・ボニファシオとは?ブラジル独立を導いた「独立の大黒柱」の生涯と功績

    ホセ・ボニファシオ・デ・アンドラーダ・エ・シルバ(José Bonifácio de Andrada e Silva)は、ブラジルの科学者・政治家・建国の父です。彼の思想と政治的影響力は、ブラジルの独立にとって決定的な役割を果たしたことで知られています。キリスト騎士団勲章を佩いたホセ・ボニファシオ教育と科学者としての歩み1763年、サンパウロ州サントス市の裕福な家庭に生まれました。20歳のときポルトガルへ渡り、コインブラ大学で法学・哲学・鉱物学を学びます。1790年にはポルトガル政府の財政支援を受け、パリへ留学。その後、科学的調査のためにヨーロッパ各地を歴訪しました。この旅を通じて、ヨーロッパ

  • イベリア連合とは?成立の背景から終焉までをわかりやすく解説

    イベリア連合の概要イベリア連合とは、1580年のポルトガル王ドン・セバスティアンの死から、1640年のポルトガル王政復古(復帰革命)に至るまで、ポルトガルとスペインというイベリア半島の2か国が同一君主のもとに統合されていた時代を指します。原因と結果のまとめ1578年8月4日、アフリカ・モロッコで行われたアルカセル・キビールの戦いにおいて、ポルトガル人の精神性にその後数世紀にわたって影響を与える出来事が起こりました。それがセバスティアニズモ(王帰還待望論)です。若きポルトガル国王ドン・セバスティアン「憧憬の人」をめぐって生まれたこの神話は、イベリア両王冠の統合にとって必要な支点となりました。戦い

  • セテ・ポヴス・ダス・ミソンイス(ミッションスの七つの村)とは?イエズス会とグアラニー族の歴史を解説

    セテ・ポヴス・ダス・ミソンイス(ミッションスの七つの村)地域は、スペイン領アメリカにおけるラ・プラタ川流域植民地化のためのスペイン政府の戦略から生まれたものです。位置この地域は、1682年創設のサン・フランシスコ・ボルジャ、1687年創設のサン・ニコラウおよびサン・ルイス・ゴンザガによって形成されました。さらに、サン・ミゲル・アルカンジョ(1687年)、サン・ロウレンソ・マルチール(1690年)、サン・ジョアン・バチスタ(1697年)、サント・アンジェロ・クストジオ(1707年)の各伝道所も加わり、「七つの村」が完成しました。これらの伝道所は「レドゥクション(集落)」とも呼ばれ、イエズス会の司

  • エミリオ・メディチとは?「鉛の時代」と「経済の奇跡」— 軍事政権の実態と伝記

    エミリオ・ガラスタズ・メディチ(Emílio Garrastazu Médici)は、ブラジル連邦共和国の第28代大統領であり、1969年10月30日から1974年3月15日まで約4年半にわたり国家を統治した軍人政治家です。メディチ政権は、ブラジル軍事政権期の中でも最も抑圧的だった時代の一つとして歴史に刻まれており、この時期は「鉛の時代(Anos de Chumbo)」と呼ばれています。その任期は、政治的弾圧の激化と経済の急成長という二面性を持っていました。後者の好景気は「経済の奇跡(Milagre Econômico)」として知られる現象です。メディチ政権の概要メディチ政権はコスタ・エ・シウ

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