世界史

古代の歴史

  • 国境の種類とは?世界で最も危険な国境と最も自由な国境

    古代の人々には「国境」という概念はありませんでした。土地が続く限り、誰もが自由に行き来できたのです。しかし文明の発展とともに、人類は地図上に「国境線」と呼ばれる国家の境界線を引くようになりました。 今回は、そんな世界の国境事情についてご紹介します。 国境線とは? 中学の教科書では、国境について次のように説明されています。 国家と国家の境界線を国境と呼びます。世界にはさまざまな国境がありますが、その決め方には主に2つの方法があります。 山脈・河川・湖・海などの自然物を利用した国境 経線や緯線を利用した人工的な国境 ①は「自然的国境」、②は「人為的国境」と呼ばれます。 この観点から世界地図を見

  • 激動の1905年とロシアの内情【ロシア史】

    1905年、日露戦争の終結が間近に迫るロシアでは労働運動が激化し、「血の日曜日事件」へと発展しました。その後も全国的なストライキが相次ぎ、バルチック艦隊の敗北の報に接した皇帝の権威は失墜の一途をたどっていきます。今回は、ツァーリ(皇帝)の権威が揺らぎ始めた1905年に起きた一連のできごとに加え、その後1914年に始まった第一次世界大戦中に起こるロシア革命へとつながる流れをまとめます。なお、後に国名にもなった「ソヴィエト」という言葉が初めて登場するのもこの時期です。激動の1905年当時のロシアは、露仏同盟を基盤にフランス資本が流入し、西欧諸国に大きく遅れをとっていた産業革命を「追い上げ・追い越せ

  • なぜバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたのか?第一次世界大戦前夜の激動の歴史

    はじめに:バルカン半島とは第一次世界大戦へと突き進んでいく直前のヨーロッパ情勢を理解するうえで、欠かせないのがバルカン半島の状況です。バルカン半島はヨーロッパ南東部に位置し、ギリシャ、ブルガリア、セルビア、モンテネグロなどを含む地域です。この地域はもともとオスマン帝国の支配下にありましたが、19世紀初頭以降、帝国の衰退とともに一部の地域が独立・自治を獲得していきます。そして、各国・各地域が独立や自治をめぐって抱えた不満が、やがて大規模な戦争へと発展していくのです。オスマン帝国とはどんな国かオスマン帝国は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とルーム・セルジューク朝の国境地域で形成されたイスラム国家で、

  • 世界史から見る第一次世界大戦の流れ【開戦初期の出来事を徹底解説】

    第一次世界大戦は、1914年7月末から1918年11月まで4年以上にわたって続いた、当時の人類史上最大の戦争でした。本記事では、開戦の発端となったサラエヴォ事件を軸に、第一次世界大戦開戦初期の流れをわかりやすくまとめていきます。第一次世界大戦直前の情勢開戦直前の情勢については、「第一次世界大戦の背景」の記事で詳しく解説しているので、ここでは簡単におさらいしておきましょう。オーストリアとロシアは、バルカン半島への進出という共通の野心を抱えていました。スラヴ系民族が多く住むバルカン半島で、オーストリアは支配強化を図り、一方のロシアは汎スラヴ主義を掲げてバルカン諸民族の独立運動を後押ししていました。

  • 中国皇帝の一日は思っているほど楽じゃない?乾隆帝のスケジュールで見るその実態

    メディアで目にすることの多い古代中国皇帝の生活。毎日美味しい料理を食べ、多くの美女に囲まれて贅沢三昧——そんな華やかなイメージに憧れを抱いたことがある人も多いのではないでしょうか。特に近年は、新型コロナウイルスの流行、各国との対立、原油価格高騰に伴う物価上昇など、ストレスフルな出来事が続いています。だからこそ、皇帝の絢爛豪華な生活への憧れが募るのも無理はないかもしれません。しかし実際のところ、皇帝の生活は自由気ままとは程遠く、むしろ「庶民のほうがよほど自由に暮らせていた」と言われることもあるのです。そこで本記事では、清王朝第6代皇帝・乾隆帝の生活を例に、皇帝の「一日」をじっくり見ていきましょう

  • 薔薇戦争の背景にある確執とは?百年戦争が引き金となったイングランド王位継承問題

    イングランドとフランスが領土とフランス王位をめぐって戦った百年戦争(1337年〜1453年)。その後半頃から、イングランド国内にも内部分裂の兆しが現れ始めます。やがてイングランド王がフランス王をも兼ねるというトロワ条約の締結にまで至り、分裂の危機はひとまず回避されたかに見えました。しかし、ジャンヌ・ダルクの登場によって戦況は逆転し、イングランドはフランス領をほぼ失うことになります。ここでかつて燻っていた内部分裂の危機が再燃し、それが薔薇戦争へとつながっていったのです。今回は、戦争責任をめぐる貴族間の責任転嫁という側面にも触れながら、薔薇戦争の背景をまとめていきます。そもそも薔薇戦争は誰と誰が戦

  • 赤と白のバラがひとつになった日――薔薇戦争の終結とチューダー朝の成立【イギリスの歴史】

    百年戦争後のイギリスで王位継承をめぐって繰り広げられた内乱、薔薇戦争(1455〜1485)。この記事では、フランスとの戦いに明け暮れたイギリスの行方と、薔薇戦争の終結からチューダー朝の始まりまでをわかりやすく解説します。 ヨーク家の衰退――エドワード4世の死とリチャード3世の即位 百年戦争を引き起こしたエドワード3世の時代以降、その子孫であるランカスター家とヨーク家は骨肉の争いを繰り広げてきました。争いを制したヨーク家のエドワード4世は即位後、体制の固めを進めていましたが、比較的若い年齢で病に倒れ、1483年にこの世を去ります。 その後、弟のリチャード3世が王位を継ぐことになりますが……

  • 大恐慌以前の世界では何が起きていたのか?〜「狂騒の20年代」と第一次世界大戦〜

    1929年に始まる「世界大恐慌」について記事を書く前に、前提となる知識を押さえておきたいところです。前回は株式会社と証券会社の仕組みについて解説しました。 しかしそれだけでは、まだ大恐慌を語るには十分ではありません。 そこで今回は、大恐慌が起こる直前の世界――とりわけアメリカの状況について掘り下げていきます。 「狂騒の20年代」とは何か 大恐慌以前のアメリカには、「ローリング・トゥエンティーズ(Roaring Twenties)」、日本語でいう「狂騒の20年代」と呼ばれる時代がありました。アメリカはかつてない好景気に沸いていたのです。 日本でいえば、約30年前のバブル経済を思い浮かべると分かり

  • なぜ日本の少子高齢化は進んだのか?歴史から紐解く人口問題の背景

    現在の日本は、少子化・高齢化・人口減少という深刻な人口問題に直面しています。日本の人口を維持するためには、合計特殊出生率が2.07以上である必要があるとされています。しかし実際には、1973年に2.14あった出生率は、2005年には1.26まで低下しました。その後はやや持ち直し、1.4台前半で推移してきましたが、出産適齢期の女性人口そのものが減少しているため、出生数は増えていません。2017年の出生数は約94万6千人と、調査開始以来の最少を記録しました。こうした中、日本の総人口は2008年にピークを迎え、すでに人口減少社会へと移行したといえます。一方で高齢化率は年々上昇しており、これからは15

  • なぜプーチン大統領は支持され続けるのか?ロシアの歴史から紐解く長期政権の秘密

    2000年に大統領に就任して以来、ロシアではプーチン政権が続いています。2008年から2012年まではメドベージェフ氏が大統領を務めましたが、その間もプーチン氏は首相として権力を握り続けました。そして2012年に大統領に再任され、2018年の大統領選挙でも勝利したプーチン氏は、2024年にもロシア大統領として再選を果たしています。ロシア国内では長期政権への批判の声も聞かれますが、それらは圧倒的な支持の声にかき消されているのが実情です。現在安定しているように見えるプーチン政権ですが、決して順風満帆だったわけではありません。特に2014年のクリミア併合は欧米諸国から強い批判を受け、現在も経済制裁を

  • なぜ核兵器は消えず、世界中に広がり続けるのか?歴史から読み解く核の現在地

    1945年、広島と長崎への原爆投下以来、人類は核兵器に対して深い恐怖を抱き続けてきました。 第二次世界大戦後の冷戦時代には、米ソ対立が激化すれば核戦争が現実のものになるとされました。当時、両国は合わせて人類を5回以上滅ぼせるほどの核兵器を保有しており、「核兵器の使用=世界の終わり」を意味していたのです。 核保有国はアメリカとソ連に加え、フランスや中国もありましたが、冷戦期の主役は何といってもアメリカとソ連の二大国でした。 冷戦終結後、現代社会を取り巻く環境は大きく変化します。インド、パキスタン、北朝鮮が核保有を宣言し、イスラエルも事実上の保有国と見なされています。核保有国が増えるほど、偶発的な

  • イギリスはなぜEUを離脱したのか?ブレグジットの背景と理由を徹底解説

    2016年6月に実施された国民投票の結果、イギリスはEU(欧州連合)からの正式な離脱を決定しました。その後、移動、貿易、移民、安全保障協力などに関する新たな協定が、EUの規制に従わない形で2020年12月31日に発効。離脱後の関係をめぐる交渉には長い時間がかかりましたが、ここに「ブレグジット」と呼ばれる一連のプロセスがひとまず完了しました。しかし、なぜイギリスはEUからの離脱を選んだのでしょうか?国民投票で二分されたイギリス世論当時のイギリスでは、EU離脱を掲げるUKIP(イギリス独立党)が支持率を伸ばし、キャメロン首相率いる与党内部にもEU懐疑派の議員が増えていました。こうした中、2013年

  • 大恐慌を学ぶ前に押さえたい「会社」と「株式会社」の歴史――世界初の法人はオランダ東インド会社

    世界恐慌は、世界史のみならず日本史においても大きな転換点となった出来事です。 今さら書くまでもありませんが、21世紀に入った現在でも、アメリカではわずか1週間で失業者が328万人に達したというニュースがあり、雇用情勢は大恐慌時に匹敵する水準だと言われています。つまり、大恐慌は単なる過去の出来事ではなく、現代にも通じるテーマなのです。 そんな状況を受けて、本格的に世界恐慌の歴史を調べてみようと思ったのですが、このブログは「わかりやすさ」をモットーにしているため、まずはその土台となる「会社」から調べていきたいと思います。 そもそも「会社」とは何か? 会社の定義は、一般的に次のように説明されていま

  • ヨーロッパの火薬庫で起きた二度のバルカン戦争――第一次世界大戦への序曲

    「バルカン半島で起こった一連のできごと」でも触れたように、バルカン半島を支配してきたオスマン帝国は、国力の衰退と民族運動の活発化により、独立を目指す地域や、独立後に勢力拡大を狙う国々が次々と現れ、情勢は一気に緊迫の度を深めていきました。 そこへロシアとオーストリアという大国の思惑が絡み、オスマン帝国内部の混乱も重なって、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島では二度の戦争が勃発します。 本記事では、この二度のバルカン戦争についてまとめます。この戦争で対立した陣営は、そのまま第一次世界大戦の陣営にもつながっていくため、第一次世界大戦をより深く理解するうえでも重要なポイントとなるでしょう。

  • もう一つのローマは描けるのか?――民衆がつくった古代都市の姿

    カルロス・マシャド(Carlos Machado)、セント・アンドルーズ大学(スコットランド) 記念碑的イメージの向こう側 何世紀にもわたり、ローマという都市の記念碑性と壮麗さは、訪問者や愛好家、そして一般の人々の想像力を捉えてきました。映画やテレビミニシリーズで目にする帝政期の大記念碑の再現映像は、「ローマ帝国の首都はエリートによって、エリートのために建設された都市であり、普通の男女はその傍観者にすぎなかった」というイメージを、視聴者の心に強く刻みつけてきました。 この見方は、歴史家や考古学者の研究関心においても支配的でした。労働者階級、貧しい人々、困窮者たちは、こうした著作の中に決して欠け

  • エチオピア先住民族ムルシ族の伝統と危機:オモ渓谷で何が起きているのか

    テクノロジーの発展は喜ばしいことですが、その代償として、多様な民族や野生動物の故郷である農園や緑地が破壊されてしまうのは大きな問題です。その典型例が、エチオピアに暮らすムルシ族です。オモ川下流域の渓谷に暮らし、「最も恐れられる部族」としても知られる彼らは今、深刻な不安を抱えています。その原因となっているのが、ギベIII水力発電プロジェクトの建設と、それに伴う大規模な森林伐採です。この地で百年以上もの間、厳しい自然環境に適応しながら生きてきたムルシ族にとって、生活基盤を失い、見知らぬ土地で一からやり直すことは、心身ともに大きな打撃となっています。ムルシ族はどこに暮らしているのか?エチオピア南西部

  • アンダマン先住民族の文化人類学:部族の歴史・生活・信仰に迫る

    アンダマン諸島の先住民族入門 ベンガル湾に浮かぶアンダマン諸島には、ネグリト系の狩猟民である先住民たちが暮らしています。彼らは総称して「アンダマン人」と呼ばれます。実は1908年当時、「アンダマン人」という呼称は13の異なる先住民族を指す言葉として使われていました。しかし現在、アンダマンの原住民として分類されているのはわずか4つの部族のみです。 その4部族とは、ノース・センチネル島に暮らすセンティネル族、リトル・アンダマン島のオンゲ族、海峡地域のグレート・アンダマンese(大アンダマン族)、そして中央アンダマンのジャラワ族です。 地理的位置 アンダマン諸島はベンガル湾に位置し、348の島々か

  • カンポンの暮らしを知るための徹底ガイド~マレーシア・シンガポールの伝統的村文化~

    シンガポールやマレーシアと聞くと、私たちは通常、都市部や人気の観光地を思い浮かべるでしょう。シンガポールは、モダンな建築物、ショッピング施設、各種イベント、そして先進的なテクノロジーで広く知られています。一方、マレーシアは都市だけでなく、多様な自然景観と豊かな文化遺産でも有名です。文化遺産といえば、それこそがマレーシアとシンガポールの共通点の一つです。1965年までの歴史を共有してきた両国には、多民族・多文化の人々が暮らしています。1965年は、シンガポールが独立国家となった年でした。こうした共通の歴史の中に、「カンポン(Kampong/Kampung)」という、多くの人にとって馴染みの薄い言

  • 北極圏の先住民族に対する気候変動の影響〜消えゆく氷と暮らしの危機

    地球で最も美しい地域の一つでありながら、今や気候変動によって深刻な危機に瀕している場所があります。それが、地球最北端に位置する北極圏(アークティック)です。厳しい寒さと過酷な環境への適応を重ねてきた北極圏の先住民族たちは、独自の生態系の中で何千年もの間、自らの暮らしを築いてきました。しかし現在、気候変動は彼らの存在そのものを揺るがす大きな影響を及ぼしています。北極圏は北極海とその周辺海域、そして複数の国々の一部から構成されています。具体的には、アラスカ(アメリカ)、カナダ、フィンランド、グリーンランド(デンマーク)、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデンなどです。この地域には季節ごとに

  • パプアニューギニアの「クラ・リング」—ミルン湾に受け継がれる儀礼的贈与交換の世界

    クラ(Kula)は、パプアニューギニアのミルン湾州で行われる儀礼的な交換体系です。「クラ取引所(Kula Stock Exchange)」あるいは「クラ・リング(Kula Ring)」とも呼ばれています。クラ・リングを世界的に有名にしたのは、近代人類学の父と称されるブロニスワフ・マリノフスキー(Bronisław Malinowski)です。彼は1922年、クラについて西洋で初めて詳細な記述を行い、この事例をもとに、いわゆる「未開の人々」の間にも合理的な意思決定が普遍的に存在することを論証しました。さらに、人間の営みには文化的な本質があること、そして互恵性(相互性)こそが人類学研究の根幹の一つ

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