第75代・崇徳天皇(すとくてんのう)は、出生の経緯が原因で、父である第74代・鳥羽天皇から疎まれていたといわれています。その理由は、鳥羽天皇の祖父にあたる白河法皇(第72代・白河天皇)の実子ではないかという噂が立っていたためです。 その後、保元の乱では弟の第77代・後白河天皇に敗れ、讃岐国(さぬきのくに)(現在の香川県)へ配流されました。 配流先でどのような晩年を過ごしたのでしょうか。また、なぜ崇徳天皇は「日本三大怨霊」の一人として語り継がれることになったのでしょうか。 崇徳天皇の複雑な生い立ち 崇徳天皇は、正式には第74代・鳥羽天皇の第一皇子です。 ところが、鳥羽天皇の后であった藤原璋子(